水中重力について(水中重力論) 本文
(1)はじめに
さてこれまでの「地上重力」についての考察・分析から、いよいよ「水中重力」の分析へと進みます。
「水中重力」の分析においては、地上重力においてはあまり重要とならなかった「計量単位」が重要となります。
「地上重力」では質量1kgに生じる「重さ」は、静止状態では通常1kgです。この「重さ」とは、いわゆる「重力」についての感覚的表現です。したがって「重さ」とは本来「重力」です。すなわち「力」です。しかし同じ「1kg」と言っても「質量」と「力」とは、互いに異なる概念です。そのため本来は、質量1kgの物体に生じる「力」は「1kg重(キログラムじゅう)」と表記し、質量の単位である「㎏(キログラム)」とは区別されるべきものです。なおこの「1kg重」は「1kgw」(あるいは1kgf)と表記することもできます。
しかし「地上重力」においては、この質量「1kg」と、重力「1kgw」とを「区別」する必要があまりありませんでした。
したがって、地上重力においては、1kgと表示しようが1kgwと表示しようが、考察・分においてその違いはさしたる支障にはなりませんでした。
しかし「水中重力」の分析においては、これと異なります。「kg」とか「kgw」という「計量単位を厳密に使用すべき場合がたびたび生じます。
何故ならば、「水中重力」においては、質量「1kg」の物体に、必ず1kgwの「水中重力」が生じるとは限らないからです。
そしてまた「水中重力」においては、水中において物体に生じる「加速度」がしばしば重要となります。
しかしこの「kgw」という計量単位だけでは、この「加速度」を充分には表現できないのです。したがって考察の必要上、面倒でも「N(ニュートン)」や「kg・m/s2」などという「計量単位」を使用せざるを得ないのです。
ちなみに「1kgw」(1kg重)とは、「標準重力加速度9.80665m/s2」の下で作用する「重力」の大きさです。地球においては、その「場所」により、その「重力加速度」が多少「異なり」ます。ここで「重力加速度」とは、地球によって生じる「引力加速度」に、主に地球の「自転」の影響を加味したものです。
この地球の自転の影響とは、一般には「遠心力」と呼ばれています。
しかしこの「遠心力」なるものは、車輪が回転する時に回転軸方向に生じる「遠心力」とは別物です。車輪の回転によって回転軸方向に生じる「遠心力」は「慣性力」であり、したがって車輪の回転によって回転軸方向に生じる力は「遠心慣性力」です。
しかし地球の自転による「いわゆる遠心力」は、「遠心慣性力」では「ありません」。ここには何ら「慣性力」は生じていません。したがって地球の自転による「いわゆる」遠心力は、「遠心慣性力」ではないので、この新論物理学では「遠心疑似力」と表現しています。
確かに、この地球の自転により、すなわち「遠心疑似力」により、物体は一定「軽く」なります。しかしこれは「慣性力」の作用によるものでは無く「落下」の作用によるものです。
エレベーターが下降する時、身体が一瞬「軽く」なります。物体が滑らかな斜面を下る時、その物体は少し「軽く」なります。これは物体の「落下」によるものです。
地球の自転による「遠心疑似力」も同様です。
地球の自転と摩擦力により、地上の物体には絶えず「力」が与えられます。
この「力」により地球の赤道上では、地上の物体は(40000㎞÷(24h×60×60))=463m/sの速度を「絶えず」与えられています。
そしてニュートンの第1法則により、その物体は「直線」上を秒速463m/sで進もうとします。ここで地球の引力が微弱であるものと仮定すると、その物体は、「空中」を進みます。そしてその物体は「直線」上を進もうとしますが、他方地球の「地面」の方は「球面」であるため「直線」上を進もうとはしません。その結果、その物体との間の「距離」はどんどん「離れて」行きます。すなわちこの時「落下」しているのは、「物体」よりも「地面」の方なのです。そして物体Aもこの「微弱」な引力に引かれて「落下」して行きます。
すなわちこの場合の「遠心疑似力」の本質は、「等速直線運動」の視点から見れば、「地球地面の落下」なのです。この結果、下降するエレベーター内と同様に、そこにおける物体が「軽く」なります。あるいはまた「坂道」を下っていく車両の中のように、そこにおける物体が「軽く」なります。しかし、地球の「地面の落下」に伴うこの「遠心疑似力」の本質は、地上の「人間の目」には「見えません」。人間がその落下する地面とともに、またその周りの景色全体とともに「落下」しているからです。「人間の目」には、「物体の落下」は目に見えても、地球の「地面の落下」は目に見えません。したがって地上において落下するのは物体のみである、との「仮象(かしょう)」が生じるところとなります。そしてこの「仮象」に基づき、地上の物体が「軽く」なるのは「遠心力」によるものである、との「仮象」が生じます。
主に地球の「緯度」により、この「遠心疑似力」の大きさは異なってきます。一般に「緯度」が高いほど、遠心疑似力は小さく、北極・南極ではゼロとなります。逆に赤道付近ではその遠心疑似力は最大となります。
補足すると、この「遠心疑似力」の「大きさ」は、「ピタゴラスの定理」と「近似計算」を行えば簡単に計算できます。遠心疑似力を生じる加速度を「遠心疑似加速度」とします。そして、地球の自転速度をv、地球の半径をr、遠心疑似加速度をa、時間をt、時間tの間に、遠心疑似加速力によって物体が移動する距離をsとします。
すると、「ピタゴラスの定理」により、(vt)2+r2=(r+s)2です。
よってv2t2+r2=r2+2rs+s2です。
ここでs=(1/2)at2です。
よってv2t2=rat2+((1/2)at2))2
ここで「近似式」を用いれば
v2t2=rat2 となります。
よって、v2=ra となります。
したがって「遠心疑似加速度」a=v2÷r となります。
ここで遠心疑似力をf、物体の質量をとすると
f=ma=m×(v2÷r) となります。
これがこの新論物理学における「遠心疑似加速度」、「遠心疑似力」の公式となり、この「遠心疑似力」を「遠心疑似力Ⅰ型」としています。
そしてこの新論物理学では、この遠心疑似力に「引力の回転」の影響を加味した「遠心疑似力」を「遠心疑似力Ⅱ型」としました。
また「遠心疑似力Ⅰ型」や「遠心疑似力Ⅱ型」とは「異なる」、「遠心慣性力」を、当新論物理学では真正の「遠心力」と定義づけました。また回転する「地球ごま」において、「回転面」の角度を変えるときに生じる慣性力を「遠心力」とは別個の「遠心類似力」として位置づけました。
ここで「遠心疑似力Ⅰ型」、「遠心疑似力Ⅱ型」「遠心慣性力」においてその力をfとすると、その公式の全てがf=m×(v2÷r)となります。
したがって「公式上」は、「遠心疑似力Ⅰ型」も「遠心疑似力Ⅱ型」も真正の「遠心慣性力」も「区別」がつかない状況となります。
ここに、「遠心慣性力」が「遠心疑似力Ⅰ型」や「遠心疑似力Ⅱ型」と「混同」される理由があります。
しかし真正の「遠心慣性力」と「遠心疑似力」とは本質的には「別の現象」であり、区別されるべきものと考えます。
さて本題に戻ります。
したがってこまかな点を除外すれば、重力加速度=引力加速度-遠心疑似力となります。地球の緯度等によりその重力加速度は異なりますが、「標準」重力加速度g(ジー)は9.80665m/s2とされています。
しかしここでは計算の都合上1g(ジー)=9.8m/s2とします。また引力加速度も同様に9.8m/s2とすることとします。したがって当水中重力論においては、重力加速度も引力加速度も、同様のものとして扱います。
さて「1kgw」(1kg重)とは、本来「標準重力加速度9.80665m/s2」の下で作用する「重力」の大きさですが、当水中重力論においては重力加速度を9.8m/s2とする結果、「1kgw」とは、「重力加速度9.8m/s2の下で作用する重力の大きさ」ということとなります。しかし「kgw」は「法定計量単位」ではなく、「法定計量単位」における「力」の単位は「N」(ニュートン)が用いられます。「計量単位令」では、1Nとは「1キログラムの物体に働くとき、その方向に1メートル毎秒毎秒の加速度を与える力」とされています。したがって1N=1kg・m/s2 と書くことができます。ここで重力加速度は9.8毎秒毎秒の加速度を与えます。
したがってこの水中重力においては、1kgw=9.8N=9.8kg・m/s2 とすることとします。
計算の便宜のために、数値計算において基本的には「計量単位」を表記せずに計算します。
とは言っても計算単位を表記して計算しないと分かりづらい場合もあります。その場合には計量単位を表記することとします。しかし計量単位を表記することによって、数式と計量単位とが混合してかえって分かりにくくなる場合があります。例えば「m」が「質量」を表わすのかそれとも「メートル」として「長さ」を表わすのかが分かりにくくなる場合があります。その場合には、「計量単位を[ ]で括り、区別することとします。
また9.8m/s2の重力加速度を1g(ジー)と表わすことがありますが、1g(グラム)と混合しそうな場合には1gに(ジー)あるいは(グラム)を付記し、1g(ジー)、1g(グラム)などとして、区別することとします。また「体積」を表す「リットル」はここでは大文字の「L」で表すこととします。なお1L=1000㎤であり、水1Lの質量を1㎏であるものとします。
(2)浮力とは何か?
一口に「浮力」といっても様々な態様があります。
①船が水上に浮かんでいる場合における浮力を「水上浮力」と呼ぶこととします。この場合、船荷をさらに積めば、船底は少し水中へと沈み、これによりさらに多くの浮力を生じ、追加された荷物の重さを支えます。この時「吃水線」(きっすいせん)の位置は上がります。逆に、船荷を減らせば船底は少し上昇します。この時吃水線の位置は下がります。このように水上における船においては、船荷の重量の増減によって、船に生じる「浮力」もまた自動的に調整されます。すなわちこの場合において.船荷の重量と浮力とは「均衡」します。したがってこのような場合における「浮力」を「均衡浮力」呼ぶことができます。そしてこの「均衡浮力」において、この「均衡線」の位置の変化を測定することによって、船荷の重量を計量することができます。以上のように、この「均衡浮力」は「水上」における「浮力」に関するものです。
他方「水中」においても「浮力」は生じます。
そして水中における浮力の態様は、大別して3通りあります。
②静止浮力
③沈降浮力
④上昇浮力
以上の3通りがあります。
これに加えて、「水底」における浮力として
⑤水底浮力があります。
以上合計して、浮力の態様は大別して5通りあります。
ここではまず②の「静止浮力」を中心に、かつ出発点として、浮力及び「水中重力」の分折を行いたいと思います。
(3)静止浮力について
比重1の物体を水中に置くと、その物体は水中に「静止」することが知られています。したがって、このような場合における「浮力」を「静止浮力」と呼ぶこととします。
この「静止浮力」には、基本2つの場合があります。
その一つは「水自体に生じる自己静止浮力」、もう一つは「水以外の物体に生じる自己静止浮力」で、この二つの自力静止浮力があります。
以上を踏まえて、まずは「水自体に生じる自己静止浮力」のについての考察.分析を行ないます。
(4)水の自己浮力について
ここで「水自体に生じる自己静止浮力」を「水の自己浮力」と呼ぶこととします。なお、「自己浮力」そのものは、「水」のみならず「液体」一般、さらには「気体」にも生じ、結局「流体」一般に生じるものと考えられます。
ともあれここでは、「水」における「自己浮力」について考察を進めます。
ここで水の自己浮力を考察するにあたり、水中に1面が10cm×1 0cmすなわち1Lで1kgの水の立方体を思い浮かべます。そしてこの立方体が上面および底面を水平の状態で、水中に在るものとします
この時このI Lの水の塊りすなわち「水塊」(すいかい)は、水中に静止し「浮かんで」います。すなわちこのI L、1kgの水塊は、1kgの「浮力」を「水自体」によって受け、この「浮力」によって水中に静止し浮かんでいます。
ここに生じている「浮力」が「水の自己浮力」であり、この「水の自己浮力」があらゆる浮力現象を解明する際の入り口となります。
ちなみにここでは「水の」自己浮力について考察を進めますが、この「自己浮力」は、「水」に限らず「液体」一般、さらには「気体」一般、したがって「流体」一般に通有するものと考えます。
それではこの「自己浮力」の「本質」は何か、またどのような「メカニズム」で、この「自己浮力」が形成されていくのか、について分析を進めます。
(5)水中重力について
水が、1Lの水塊に対して1kgの「自己浮力」を生じ「静止」しています。
このことを「逆」に捉えれば、1L、1 kgの「質量」の水塊について、lkgの「重力」すなわち1kgwが生じていることとなります。
この「重力」は「水中」において生じています。したがって、ここに生じている重力を「水中重力」と称することとします。
そしてこの「水中重力」がいかにして形成されるのか、そのメカニズムの解明は「水の自己浮力」の分析と深く関わっています。
ここに「水中重力」という新たな概念が生じました。そしてこれまで考察してきた「重力」を「地上重力」と呼ぶこととします。
それではこの「水中重力」は、これまで考察してきた「地上重力」と、どのように「同じ」で、またどのように「異なる」のかが、次の課題となります。
(6)地上重力と慣性力について
そのため「水中重力」の考察・分析に進む前に、「地上重力」についてまず振り返ることとします。
それではこの「地上重力」とはそもそも何でしょうか?
それは地上「重力慣性力」です。
それでは重力慣性力に限らず、「慣性力」一般はどのようにして形成されるのでしょうか?
慣性力は、一般に「空間的力」と「物体的力」との「結合」によって生じます。
その理由は何でしょうか?
「引力」は「空間」を通じて伝搬・作用する「空間的」力です。これに対して「鉛直抗力」は、地面、ひも、物体それ自体等を通じて伝搬・作用する『空間的力」です。この「空間的力」である「引力」が物体Aに対して瞬時・同時に作用するのに対し、物体的力は逐次・順次に作用する為、引力に対する「反応」が「遅延」しながら「伝達」されていきます
この「伝達」の「遅延」を「加速度伝搬の遅延」と称して来ました。
そしてこの「加速度伝搬の遅延」により、物体A全体の「加速度」は「同じ」であっても、物体Aの「各部分」における「速度」は異なっていくこととなります。
すなわち物体Aに対して物体Aから直接「力」(加速度)を受ける部分の「速度」は「最も速く」、ここから「離れる」に従い同時刻における「速度」は「遅く」成ります。
この結果加速力が物体を「押す」場合には、物体Aの各部分が互いに近づき、その結果各部分の「距離」が縮まります。各部分の原子・分子が互いに接近すると、これに件ない電子間あるいは陽子間の「電気的」反発力が強まります。すなわち「クーロン力」が作動します。この結果、この「クーロン力」が「加速」への「抵抗」となります。
加速力が物体を「引っ張る」場合には、物体Aの各部分が互いに遠ざかり、その結果各部分の「距離」が離れます。各部分の原子・分子が互いに接近すると、これに件ない電子間あるいは陽子間の「電気的」張力が強まります。すなわちこの場合も「クーロン力」が作動します。この結果いずれの場合、この「クーロン力」が「加速」への「抵抗」となります。
物体Aの各部分において「加速度伝搬の遅延」が、生じるのは、物体Aの各部分が「慣性」を有するからです。この物体Aの各部分が有する「慣性」によって、物体Aの各部分に対する加速度の伝搬は「遅延」していきます。
そして物体Aの各部分が「慣性」を持つのは、物体Aの各部分が「質量」を持つからです。「質量」が無ければ「慣性」もまた有りません。この意味において、一定程度「質量=慣性」であり、また逆に「慣性=質量」であるということができます。
したがって「慣性の大きさ」とはすなわち「質量の大きさ」である、ということができます。
この物体Aの各部分が有する「慣性」(質量)を土台として、「慣性力」が.形成されます。「慣性力」とは、個々の「慣性」の集合体であり、また個々の「慣性」の「結合」です。
個々の「慣性」が「積み重なり」、個々の「慣性」が「結合」して、「一つ」の「慣性力」を形成します。
具体的には.物体Aが物体Bに「押されて」加速していく場合、その「加速力」は物体Bと物体Aとの「接触点」から流入し、順次物体Aの内部に浸透し、最終的には物体Aの「先端」へと到達します。
ここで便宜、物体Aを3つの部分に分け、物体Bから物体Aにその加速力が最初に流入する部分をAl、次に浸透する部分をA2、最後に浸透する部分をA3とします。
するとA1には、まずAl自体の「抵抗」(自己抵抗)が生じます。しかし同時に、AlはA1に接しているA2を「加速」させます。するとA2にはA 2自体の「抵抗」が生じます。
そしてその「抵抗」がA1の加速に対する「抵抗」として、新たに加わります。すなわちAlは、A l自体の「抵抗」(自己抵抗)に加えて、A 2によって生じた「抵抗」(他者抵抗)をも有します。
同様にして、A2には、A2自体の自己抵抗にA3による他者抵抗が加わります。そしてとのA2の自己抵抗とA3の他者抵抗がA1に加わります。
その結果、A1は「Al自体の自己抵抗+A2の他者抵抗+A3の他者抵抗」を保有するところとなります。
これを総括・一搬化すると、Aの各部分のそれぞれに自己抵抗が生じるとともに、Aの各部分はその各部分自体が、加速力を「与える」次の部分に「他者抵抗」を引き継ぐところとなります。
この結果、物体Aにおける「抵抗力」は一様ではなく、物体Bから物体Aに加速力が流入するその流入部分において、その抵抗力が「最大」であり、そしてその加速力が物体Aの内部に順次伝達しながら減衰していき、同時に物体内部の抵抗力を減衰していき、最終的物体Aの末端において、その最終抵抗力は最小(零)となります。
このように物体Aの内部に生じる「勾配(こうばい)」(グラデーション)のある「抵抗力」の「総体」が、いわゆる「慣性力」です。しかし一般には、この物体Bと物体Aの接触点部における「最大」慣性力を指して、「慣性力」と称しています。
(7)慣性力の大きさについて
次にこの「慣性力」の「大きさ」についてです。
「慣性力」の「大きさ」の分析に際して、考察の便宜の為に、均質・均等な金属の円柱Aを考え、その一端を物体Bが押し、金属円柱Aを加速度aで「加速」するものとします。
しかしここで物体Bの「質量」が金属円柱Aに比べて一定程度大きくなければ、金属円柱Aに生じる慣性力自体によって、加速度aは減衰してしまいます。
ここでこの減衰を避ける為に、金属円柱Aの質量に比べて物体Bの質量を相当程度大きいものとし、それにより加速度aの減衰は無視できるものとします。
そして観念上、金属円柱Aを細かく「等分」することとし、この等分された円柱の各部分を、物体Bに近い方から順にA1、A2、A3、・・・、Anとします。
ここでこの円柱の各部分は均質・均等でかつ「等分」されているために、各部分における「質量」も等分であり、したがって「加速度伝搬の遅延」による各部分における「速度」減速の程度も「一定」であると想定することができます。
この状態で、物体Bから金属円柱Aに流入する加速力を分析します。
ここで物体Bおよび金属円柱Aもともに加速度aで加速しています。
しかし、金属円柱AのA1の部分には、「加速度伝搬の遅延」が生じます。ここでAlの「速度」がvlに到るまでの時間を△tlとします。するとこの△tの間に物体Bの「速度」はv2となっています。ここでこの(v2-vl)÷△tが加速度aです。他方A1の速度はようやくvlに達したところです。しかしもし「加速度伝搬の遅延」がなければ、この時A1の「速度」はv2になっていたはずです。したがってこの「加速度伝搬の遅延」により、Alの「速度」はv2からv1に「減速」したこととなります。即ち「負の」加速度が生じたこととなります。したがってこの時の「加速度伝搬の遅延」による加速度の値は、(v2-vl)÷△tとなり、結局この「加速度伝搬の遅延」によって生じる加速度は「-a」となります。
したがって、加速度aの「加速」によって、A1内部には「-a」の「加速度」が生じることが分かります。
同様なことがAlのみならず、A2、A3、・・・、Anの全てにおいて生じます。この時円柱Aの質量をMとすると、Al、A2、A3、・・・、Anの各質量はM÷nであり、これを△mとすると、AIに生じる抵抗力f1は(-a)×△mです。f2も同様です。したがって、円柱Aの各部分の「総体」に生じる「抵抗力」をRとすると、RはR=fl+f2+f3+・・・+fn=(-a)×Δm+(-a)×Δm+・・・(-a)÷Δm=(-a)×M となります。したがつて円柱「全体」では、R=(-a)×Mとなりますが、加速力をFとするとF=(-a)×Mであるので、R=-Fであることとなります。
ここでこの「抵抗力」Rの「総体」が、いわゆる「慣性力」なので、結局慣性力=-加速力 となります。
すなわち慣性力の「大きさ」は「加速力」に「等しく」、その「方向」は互いに「逆向き」となります。
そしてこれまですでに述べたように、金属円柱Aの各部分に生じた「抵抗力」は、「加速力」の流入部分に向かって「累積」し、その「流入部分」である物体Bと円柱Aとの「接触部分」において、その「累積抵抗力」は「最大」となります。すなわち「累積慣性力」は「最大」となります。
したがって、この「最大慣性力」が、金属円柱Aにおける「慣性力総体」の大きさと「等しく」なります。
したがって金属円柱Aに生じる「総慣性力」を計測するためには、金属円柱Aが加速体Bと「接する」部分における「慣性力」(=最大慣性力)を計測すれば良いこととなります。
ここで金属円柱Aに生じる「慣性力」の大きさには「勾配」(グラデーション)があります。一般に私達が「慣性力」と称しているのは、この「最大慣性力」のことですが、実際に円柱Aに生じる「慣性力」とは、以上のように「勾配」のある「力」です。
(8)加速力について
以上のように、金属円柱Aに生じる「慣性力」については、「勾配」があることが分かりました。それではこれに対する「加速力」についてはどうでしょうか?実はこの「加速力」もまた「勾配」を持ちます。
「慣性力」と同様に「加速力」もまた、金属円柱Aと物体Bが「接触」する部分が「最大」です。そして,この「加速力」は金属円柱Aの各部分に「加速度」aを与えながら、みずからは「減衰」していきます。この結果、金属円柱Aの各部分における「加速度」aは「一定」だが「加速力」は「減衰」していきます。「加速度」は「一定」なのに、「加速力」は「減衰」するというのは一見「矛盾」しているように見えますが、実際上は、何ら「矛盾」はしていません。
これはF=a×m から生じる当然の帰結です。ここでmは「質量」であると同時に「慣性」であり「抵抗」です。したがって「加速度a」の大きさが「同じ」であっても、「質量」(慣性、抵抗)の大きさが変化すれば、これに伴い「加速力」もまた変化します。この結果、円柱Aの「最末端」では、「加速度」はaですが「加速力」は「零」と成ります。
以上により、「慣性力」と「加速力」とは、ともにその「向き」は互いに「逆」ですが、その「大きさ」は同じであり、「共に」物体Bと金属円柱Aとの「接触部分」で「最大」であり、その後「共に」「減少・減衰」していき、最後にその「末端」において、「共に」「零」となります。
以上によりこの金属円柱Aの両端及びその「内部」において、無数の「等圧面」が存在し、その「等圧面」の「片面」には「慣性力」が在り、その反対面には「加速力」が在り、互いに「同じ」大きさで、かつ互いに「逆向き」で、互いに「対峙」していることが分かります。
ここで「等圧」面と言うのには二つの意味があります。それは一つには、ここで「対峙」している「慣性力」と「加速力」との「大きさ」が、互いに「等しい」からです。またもう一つには、この「等圧面」内においては、各地点の慣性力の大きさが「等しく」、各地点の加速力もまた「等しい」からです。上記により、この「等圧面」もまた「勾配」(グラデーション)を有することは言うまでもありません。
(9)重力慣性力について
以上、加速力と慣性力、また等圧面について述べてきました。
「重力」は「重力慣性力」ですが、一概に「慣性力」と言っても様々な「慣性力」があります。
まず、機関車が直線軌道を加速・走行する場合に生じる「慣性力」があります。
また、物体が「回転」運動をする際に生じる「遠心力」もまた「慣性力」です。
そして「重力」もまた「慣性力」であり、「重力慣性力」と呼ぶことができます。
この「重力慣性力」も地面に置いた物体に生じる「重力慣性力」と、物体を天井から吊るした場合に生じる「重力慣性力」との二通りがあります。
そしてこの二通りの「重力慣性力」を、「水中」での「重力慣性力」と対比して「地上重力慣性力」と呼ぶこととし、「水中」における「重力慣性力」を一般に「水中重力慣性力」(水中重力)と呼ぶこととします。なお、ここでは「水中重力慣性力」と表現しますが「水中」に生じる「慣性力」は、広く「液体中」にも生じ、さらには「気体」にも若干形態を変えて生じ、結局すべての「流体」に生じるものと考えます。
しかしここでは取りあえずは「水中」での「重力慣性力」を分析するために、「水中」重力慣性力(「水中」重力)と、表現することとします。
(10)地上重力と鉛直抗力について
ここでこの「水中重力」について考察を進める前に、その「前提」としてまずは「地上重力」についてもう少し考察を進めます。
上記のとおり、「地上重力」には大別して二通りの「地上重力」の「形態」があります。そしてその一方は物体Aが「地面」に「置かれ」ている場合であり、この場合には「地面」から何らかの「加速力」を得ており、その「最大重力慣性力」はこの「地面」と接する部分にあります。したがってこの「最大重力慣性力」は物体Aの「下側」に生じます。
他方、物体Aを「天井」から「吊り具」で「吊るした」場合には、その「加速力」はこの「吊り具」から流入し、したがってこの場合の「最大重力慣性力」は「吊り具」の側にあります。したがってこの場合における「最大重力慣性力」は物体Aの「上側」に生じます。
このように物体Aを「置いた」場合にも、物体Aを「吊るした」場合にも「地上重力慣性力」が生じます。以上二通りの「地上重力」についてその「形態」は異なりますが、その「本質」は同じです。すなわちいずれの場合においてもその「重力」を生じる「加速力」が、「鉛直抗力」であるという「本質」は「同じ」です。
それではこの「鉛直抗力」とはそもそも「何」でしょうか?
そしてまたこの「鉛直抗力」は「どのようにして」形成されるのでしょうか?
ここでは物体を地上に「置いた」場合のように、鉛直抗力が物体を「押す」場合について考察します。
「鉛直抗力」とは、結局は物体を構成する各電子間、あるいは陽子間に生じる「反発力」です。この「反発力」が、物体Aを引力による「落下」に抗し物体Aを「静止」させています。すなわち「鉛直抗力」の「本質」は物体間に働く「電気的反発力」、すなわち正の「クーロン力」です。この「クーロン力」が「鉛直抗力」の「本質」です。
しかし通常見ているのは、既に形成された「形成後」の鉛直抗力です。
この「鉛直抗力」についてさらに深く知る為には、釣直抗力のこの「形成過程」を知る必要があります。
しかし、この「鉛直抗力」の形成過程は単純ではありません。「引力」、「鉛直抗力」そして「重力慣性力」とが相互に作用しあって、鉛直抗力それ自体を、また重力慣性力それ自体を形成していきます。
すなわち「鉛直抗力」はこの「相互作用」によって形成されます。
ここでこの鉛直抗力の「形成過程」を分析するに際して、物体Aを置いた」状態で考察することとします。また考察の便宜の為に、この物体Aが「円柱状」であるものとします。
(11)クーロン力について
ここでこの円柱Aを細かく「輪切り」にします。そしてその各部分の底面をA1とし、以下A2、A3、・・・、An とします。
そしてこの円柱Aを水平かつ滑らかな地面にゆっくりと置くものとします。
そしてこの円柱Aを地面に置いた直後から、「超スローモーション」で
この円柱Aの状態を観察することとします。
するとまずは「引力」の作用により円柱「全体」が「落下」していきます。
しかし、まずは地面に接触しているのはA1のみです。そして、この「落下」によりA1は地面にくい込もうとします。この時、A1の原子・分子と地面の原子・分子とが互いに「接近」します。この結果、A 1の電子・陽子と地面の電子・陽子とが互いに「接近」します。この時「クーロン力」が発生します。
ここでこの「クーロン力」について考察します。
「クーロン力」の「大きさ」は、次の公式で表わされます。すなわち
F=k×(Q×Q′)÷r2
ここでFは「クーロン力」の「大きさ」(スカラー)であり、Q及びQ′は「電荷」を表わします。rは「距離」です。
kは「定数」であり、したがって「単位」を調整すれば、F=(Q×Q′)÷r2と書くこともできます。
そしてQとQ′の「電荷」の正負が「同じ」であれば、電荷Q及びQ′には互いに「反発」する力が生じ、QとQ′の「電荷」の正員が「異なれ」ば、電荷Q及びQ′には互いに「引き合う」力が生じます。
ここで注目すべきことは、この「クーロン力」をF=(Q×Q′)÷r2という「一つの式」で表わしていることです。
実際に生じる力は「一つ」ではなく「二つ」であり、その「二つの力」にはそれぞれ「方向」があります。したがって「スカラー」としては「一つの力」であっても、「ベクトル」としては「二つの力」を表わしています。
しかしこの「二つの」ベクトルは、互いに切り離すことができません。この「ベクトル」の一方が生成する時、他方の「ベクトル」も「必ず」生じます。また、一方の「ベクトル」が消滅する時、他方の「ベクトル」もまた「必ず」生じます。すなわちこの二つの「ベクトル」は「対生成」し、また「対消滅」するのです。
そして、このQ及びQ′に生じる力の「大きさ」(スカラー)もまた「必ず」同じなのです。したがってこの二つの「ベクトル」は、「ニつ」でありながら、互いに互いの存在を前提とするという点で「一体」であり、この意味において、この「二つの」力は、「一つ」であり、「一つの力」の「両面」であると見ることもできます。
「クーロン力」が、この「一つ」の力の「両面」であるがゆえに、この「クーロン力」を「一つ」の公式で表現することができます。またコインの「表」と「裏」との面積が「同じ」となるように、「クーロン力」における「二つ」のベクトルの「大きさ」もまた「同じ」となります。
したがって、「クーロン力」はこれを捉える「観点」によって、「一つ」の力であるとも「二つの」力であるとも、言うことができます。
(12)鉛直抗力と重力慣性力の相互形成の連鎖
さてクーロン力が作用する時、以上のようにこの力は物体A1と地面との「双方」に同時に生じます。そして、この「力」はその「大きさ」が互いに「等しく」、その「向き」」は互いに「逆向き」となっており、この二つの力で一つの等圧面を形成します。
そしてこの時、地面の側に生じる力がまずは「第1段階」の鉛直抗力として、作用します。同時に、A1に生じる「抵抗力」が、「第1段階の「重力慣性力」となります。
そうするうちに、「引力」の作用によりA2の部分も「落下」して来ます。そしてこのA2の部分がA1にくい込もうとします。この時、A2の各原子・分子とA 1の各原子・分子力が互いに接近し、「新たな」クーロン力が発生します。この「クーロン力」は、A2に対しては「新たな鉛直抗力」として作用します。すなわち「第2段階」の鉛直抗力として作用します。他方、A1によって「落下」を阻止されたA 2に生じる「抵抗力」が、「第2段階」の「重力慣性力」となります。そしてこの「第2段階」の「重力慣性力」が、Alに作用し、A1をA 2から「離そう」とします。この結果は、A2に「押され」てA1は、「地面方向」に「移動」しようとします。するとA1の原子・分子と地面の原子・分子が「接近」しようとします。するとここにまた新たな「クーロン力」が生じます。この時生じる「クーロン力」がA1に対しては、「第3段階」の鉛直抗力として作用します。こうする内に、「引力」の作用によってA3がA2に向かって「落下」してきます。このようにして、「第4段階」、「第5段階」、・・・の鉛直抗力及び重力慣性力が次々と誘導・成起してきます。そしてこれらの 一連の運動は、物体Aの「最終部分」が落下・結着するまで果てしなく続きます。
このようにして、最終的に「鉛直抗力」と「重力慣性力」とが「完成」します。
通常これらの連続運動は、人間の目には電撃のように「一瞬」で、目にも止まりません。
人間がコップをテーブルの上に置いた時、そのココップは静謐(せいひつ)を保っているように「見えます」。
しかし以上見たように、そのココップがテーブル上に静止・均衡するまでには、1モルあたり6×10の23乗もの原子・分子及びその数倍を上回る数の電子・陽子における無数の相互作用・運動の結果、そこに「在る」のです。そして通常目にしているのは、この静止・均衡後の「完成」した「鉛直抗力」であり、「重力慣性力」なのです。
このように「鉛直抗力」、「重力慣性力」ともに、「累積」した力です。ここで鉛直抗力と鉛直抗力によって生じる「加速度」との関係を見ると、「鉛直抗力」は「累積」した力ですが、他方この「鉛直抗力によって生じる「加速度」は「一定」です。すなわち「引力加速度」を「g」とすると「鉛直抗力加速度」は「-g」です。これは、「加速度」は「一定」であっても、これに係る「質量」が異なればこれに係る「力」はこの「質量」に比例する、すなわちf=m×aである、ことに依るものです。
また、「鉛直抗力加速度」とそれによって生じる「速度」との関係を見てみると、「同時刻」、「同一」の物体においてにおいて、「加速度」は「一定」であっても、その「速度」はその「物体」における「鉛直抗力加速度」の流入点とその先の末端とでは、その速度の「大きさ」は異なります。例えば互いにその大きさが異なる速度vl、v2、v3を考えます。そして加速度とは「速度の変化率」です。したがって加速度をaとすると、例えばa=(v2-v1)÷Δt=(v3-v2)÷Δt となる場合が生じます。この場合、互いに「速度」は異なりますが、「速度の変化率」、すなわち「加速度」は「等しい」こととなります。
そして「加速度伝搬の遅延」により、「加速度」は「一定」であっても、「速度」は遅延し、相対的に「小さく」なります。このことが当物体全体に生じる結果「重力慣性力」が生じることとなります。
(13)加速度伝搬の遅延と収縮力・伸長力
ここでこの「加速度伝搬の遅延」は、「質量」が有する「慣性」の影響によるものです。
それではこの「加速度伝搬の遅延」が「何故」「重力慣性力」を持つのでしょうか?さらに、これを一般化して、「加速度伝搬の遅延」が「何故」、「慣性力」を生じるのでしょうか?
それは、この「加速度伝搬の遅延」によって、「被加速体」Aにおいて、加速度が流入する部分の「速度」が、物体中を通過する過程において、質量が有する「慣性」」によって、一定「減速」していくからです。
ここで加速度が流入する部分を「始端」、そしてその加速度が流入していく最終部分を「終端」とします。
そして一つの被加速体Aにおいて、その全体の「加速度」が「同じ」であるにもかかわらず、「同時刻」において、「始端」と「終端」とでは、その「速度」が「異なり」ます。ここにポイントがあります。
物体Aを「押す」場合、「同時刻」において「始端」に比べて「終端」の速度が「遅く」なります。
「始端」が速く、「終端」が遅い結果、物体Aに(押す場合には)「収縮力」が生じます。この「収縮力」こそ「慣性力」の本質です。電車が「加速」していく中で、「壁」と「人」との間で「収縮力」が生じます。その結果、人は壁に押されると感じるのです。
逆に、加速によって物体Aが「引っ張られる」場合、物体Aには「伸長力」が生じます。電車が「減速する場合」、人は「吊革」によって「引っ張られる」ように感じます。この場合この「伸長力」が「慣性力」の本質です。
そしてこの「収縮力」も「伸長力」も、ともに「加速度伝搬の遅延」によって生じます。
(14)見えない加速について
なお補足的に「加速」について分析します。
一般に「加速」には「見える加速」と「見えない加速」とがあります。
通常私達が「加速」としてイメージするのは、この「見える加速」であつて、「見えない加速」はしばしば考察の「対象外」となります。しかし、この「見える加速」も「見えない加速」もともに重要です。そしてこの「見える加速」も「見えない加速」も「加速度」というの「大きさ」は「同じ」です。違いは「人間」の側にあって、人間の側の「視点」の違いによって、「見える加速」と「見えない加速」とが分かたれます。
「見える加速」とはどういう状態なのか?
ここで物体Aが、「引力」の影響によって「落下」していきます。
そしてその「速度」vは、v=9.8×tで表され、移動距離sはs=4.9×t2で表わされます。
したがってこの物体Aの「速度」は、1秒後には、9.8m/s、移動距離は4.9mとなり、2秒後に速度は19.6m/s 、移動距離は19.6mとなります。この時人間の目にとって、この「加速」は「見える加速」です。
しかしこの「引力加速度」は、1秒や2秒でのみ作用しているのではありません。この「引力加速度」は、0.01秒や0.0 01秒においても「同様」に作用しています。
v=9.8tなので、0.001秒後の「速度」は0.0098m/s、移動距離は0.0000049m(0.0049㎜)となり、0.002秒後の「速度」は0.0196m/s、移動距離は0.0000196m(0.0196㎜)となります。しかしこの「速度の違い」は、「人間の目」には「分かりません」。
したがって「微少時間」における「加速」は、「人間の目」にとって、「見えない加速」となるのです。しかしこの「微少時間」においてもその「引力加速度」の大きさは9.8m/s2であることに変わりはありません。
この「見えない加速」の概念は、力と力とが拮抗し、外見上「静止」しているように見える場合において重要です。
ここでは、二つの力が「微少時間」毎に絶えず「加速」し合っているのです。しかしこの「加速」」は「人間の目」には「見えません」。そして加速による「位置変化」を見えません。
しかし「微少空間」においては、その「位置」も絶えずゆらいでいます。そしてその「位置変化」が「人間の目」には分からないほど「微少」であるために、「人間の目」にとっては「静止」しているように「見え」ます。
しかし、実際上は、「微少時間」、「微少空間」において、力と力とがぶつかり合い、加速し合い、絶えず位置変化をし、そしてこの位置変化を通じて「均衡」し、そして「人間の目」にとって「静止」しているものとなります。
この状態においてはもはや「運動」とも「静止」とも区別つかない、あるいは「運動」でありかつ「静止」であるという「均衡」の状態となります。
「鉛直抗力」と「重力慣性力」との「均衡」も同様であって、この「均衡」の状態において、物体は「静止」します。
(15)微小時間における力について
以上のように「微少時間」、「微少空間」において、物質の原子・分子同士は力を生じ、また力を及ぼし合い、さらには力を伝達し合います。
引力、鉛直抗力、重力慣性力においても同様です。
引力によって物体Aが「落下」します。
そしてまずその物体の底面の第一層が着地します。
するとその「着地」によって、物体Aの底面が地表に食い込みそのことによって物体Aの底面の第一層の原子・分子と地表の原子・分子とが、互いに「接近」します。
そしてその「接近」によって、各原子・分子内の電子同士あるいは陽子同士の「距離」が縮まります。
そしてそのことによって「電気的反発力」(クーロン力)が生じます。
そしてそのクーロン力は、物体Aの底面の第一層の原子・分子と、地表の分子・原子・分子との間で、「同じ」大きさの力が、互いに生じます。
そしてそうするうちに物体Aの第二層が落下してきて、物体Aの第二層に着地し、同様にクーロン力を生じます。
そしてこの新たなクーロン力は、第一層を通じて、地表まで到達し、ここでまたさらにクーロン力生じ、今度は第一層を逆にたどって第二層へと到達します。
そうする内に、第三層、第四層と、次々と落下してきては「クーロン力」を生じ、そしてその「クーロン力」は物体Aの各部分を通じて「伝達」されて行きます。
このようにして「鉛直抗力」が生成・伝達されていきます。
その結果、物体A全体に「鉛直抗力」とともに「鉛直抗力加速度」が浸透し伝搬していきます。
しかしその「伝搬」は「微少時間」、「微少空間」における「運動」によって行なわれます。
そしてその「運動」は、「質量」を、したがって「慣性」を有する原子・分子によって担われます。
ここで「慣性」とは「運動」に対する「抵抗」の側面を持ちます。
したがってこの「慣性」の影響によって、「鉛直抗力」や「鉛直抗力加速度」は伝達されるが、その「速度」は「遅れる」という状態が出現します。
この結果、いわゆる「加速度伝搬の遅延」が生じます。
そしてこの「加速度伝搬の遅延」よって個別的な「慣性」は集合的な「慣性力」に転化します。
そして「鉛直抗力」によって「重力慣性力」すなわち「重力」(地上重力)が形成されます。
(16)加速度伝搬の遅延が生じるための条件
この「加速度伝搬の遅延」は、連結した多数の貨車を巨大な質量の機関車が押して行く(あるいは引いて行く)場合に類似しています。
巨大な機関車か加速度Aで動き出します。
そしてまずは第一番目の貨車を押し加速していきます。そしてこの第一番目の貨車を媒介として第二番目の貨車を加速していきます。さらに次には、第二番目の貨車を媒介として第三番目の貨車を加速していきます。こうして次々と順次貨車を加速して行きますが、加速によって機関車が相当高速度になったその「同時刻」において、その末瑞の貨車はまだ微動だにしていない状態があります。しかしやがて機関車の加速度がこの末瑞の貨車にも到達し、この末端の貨車も加速度aで加速を始めます。
これがいわゆる「加速度伝搬の遅延」です。
そしてこの「加速度伝搬の遅延」にはポイントが二つあります。
一つは、加速度aが「一定」であるためには、「加速力」を与える機関車の質量が、加速される貨車の質量に比べて圧倒的に大きくなければならない、ということです。そうでなければ、機関車が貨車を加速していく度に、加速度aは減少していきます。
ここで地球自体の質量は、その地上の物体の質量に比べて圧倒的に大きいです鉛直抗力は「地球」から生じます。この地球の質量が地上の物体の質量に比べて圧倒的に大きいことによって、ここに生じる「鉛直抗力」の値も一定(=-g)であるものと考えられます。
(17)異時加速と同時加速について
もう一つは「加速」の形態です。
「加速」にも二通りあって、同じ「加速」であってもその「結果」が相当異なります。
この「加速」の一つは「異時加速」であり、もう一つは「同時加速」です。
「異時加速」とは、例えば「同一の地点」において、二つの物体を少し時間をずらして順次落下させる場合です。
この場合は、「時間の経過」とともに、物体間の「距離」がどんどん離れて行きます。
これに対して、「同時加速」とは、あらかじめ「高さ」(距離)の異なる地点に二つの物体を配置して、「同時に」二つの物体を落下させる場合です。
この場合は、いかに時間が経過しようとも、「加速」によってその二つの物体間の「距離」は「一定」です。いわゆる「ガリレオの実験」はこの「同時加速」における実験です。
このように同じ「加速」であっても、「異時加速」と「同時加速」とでは、その「結果」が全く異なります。
ここで先ほどの機関車の例に戻りますと、機関車の加速度が最終の貨車に到達した瞬間に、最終の貨車が加速を始めます。
しかしこの「加速度」は、「直接」に機関車から得ているのではなく、その最終貨車の一つ手前の貨車から、この「加速力」を得ています。そしてその手前の貨車が最終貨車にこの「加速力」を与える際に、「加速度伝搬の遅延」を生じます。この結果「同時刻」においては、この手前の貨車と最終貨車との間に「速度の差」が生じます。ここである時点の最終貨車の速度をV 1、手前の貨車の速度をV2とすると、V2>V1 となります。ここで機関車が貨車を「引いて」いる状況ならば、「異時加速」と同様に、最終貨車と手前の貨車との「距離」も「大きく」なっていきます。
しかし最終貨車と手前の貨車とは「連結」されており、この「距離」は一定以上には成りません。したがって最終貨車の速度V2は、手前の貨車の速度V1に収れんしていかざるを得ません。
その結果V2→V 1に、したがってV2=V1となります。
すなわち、手前の貨車が最終貨車に加速度a=(V2-V l)÷Δt)を伝達する一方、逆に手前の貨車によって最終貨車の加速度は(-a)=(V1-Ⅴ2)÷Δt になります。すなわち最終貨車に対し手前の貨車は、アクセルとブレーキを同時に作動させます。すなわち「異時加速」を作動させる一方、「強制的」にブレーキをかけ、その結果その加速は「同時加速」と同様な状態となります。すなわちⅤ1=V2となり、その結果、最終貨車と手前の貨車との「距離」は「一定」となります。つまり「同時加速」と同様な状態となります。
そして以上により、手前の貨車が最終貨車に「加速度」aを与えつつ、同時に「加速度」-a(マイナス加速度)を与えることとなります。そしてこの「-a」が「質量」と相まって部分的な「慣性力」を形成します。そしてこの部分的な「慣性力」が「全体」の中で統合されて、「慣性力総体」となります。
「重力慣性力」においても同様です。
「引力」によって物体A全体が「同時落下」していきます。
しかしこの「落下」を「受け止める力」は、空中にはありません。
この「落下」を「受け止める力」は、地表にあります。
したがって、この「落下を受け止める力」は、「地表」から物体Aの「底面」に作用し、「順次」物体Aの内部に「伝搬」していきます。
「順次」伝搬していくので、この時の「加速」は「異時加速」です。そしてこの「異時加速」によって、物体Aの底面から上面へと加速度が伝搬して行きますが、「加速度伝搬の遅延」により、「同時刻」においては、底面の「速度」に比して上面の「速度」は「減少」していきます。その結果、物体Aに「収縮」生じます。この「収縮」によって物体と地表との間に「クーロン力」が生じこれが「反発力」して作用します。そしてこの「クーロン力」によって、「収縮」に一定の「歯止め」がかかります。そしてこの「歯止め」によって、物体Aの「速度」は一定の値に「収れん」していきます。すなわち「同時加速」と同様の状態となります。
(18)地上重力と水中重力
さて以上、物体を地面に置いた状態での「鉛直抗力」及び「重力慣性力」について考察を行なってきました。
ここで物体を天井から「吊るした」場合における「鉛直抗力」及び「重力慣性力」については、物体を地面に「置いた」場合と同じ手順で考察を進めれば良いので、これを省略します。
これまで述べた「重力慣性力」は、物体を地面に置くにしろ、物体を天井から吊るすにしろ、「地上」における「重力慣性力」でした。したがってこれらの「重力慣性力」を「「地上重力慣性力」(地上重力)と呼ぶこととします。
しかしこれから考察しようとするのは、「水中」における「重力慣性力」(重力)です。したがって、この「水中」における「重力慣性力」(重力)を、「水中重力慣性力」(水中重力)と呼ぶこととします。
「水中重力」もまた「重力慣性力」です。したがって、「地上重力」と「水中重力」も、ともに「慣性力」であるという「本質」においては「同じ」です。
しかし地上重力と水中重力とでは、その生成の「メカニズム」がやや異なります。ここに「地上重力」とは一定「異なる」「水中重力」の世界が広がります。地上重力と水中重力との「違い」際立たせるものが「浮力」です。
地上重力における「精密測定」においても、物体に生じる「浮力」を勘案する必要があります。
しかしこの場合の「浮力」は、「地上重力」によって生じるものでは無く、「空気」によって生じるものです。この場合の「浮力」は言わば「空気中重力」、「気体中重力」、広く「流体中重力」によって生じるもので、これらの「重力」は「水中重力」に通有するものです。
ここでは「水中重力」の分析を通して「浮力」現象の謎を解明します。
(19)水中重力と地上重力の比較
「水中重力」もまた「重力慣性力」です。このことは「地上重力」と比較すると良く分かります。
ちなみにここで金属製の円柱Aを考えます。そしてこの金属円柱Aをテーブルの上に「置き」ます。するとここに鉛直抗力、重力慣性力、等圧面の「連鎖」が生じます。
次に同様な形・大きさのシリンダーCを置きます。そしてこのシリンダーの中に、水を注入します。するとこのシリンダーC内に、水の「円柱」が生じます。そしてこの水の円柱を水柱Bとします。
するとこの水柱B内にも金属円柱A内と同様に鉛直抗力、重力慣性力、等圧面の「連鎖が生じていることが分かります。
ここで金属円柱Aにも、水柱Bにも同様にテーブルから鉛直抗力、が流入し、テーブルに対して、それぞれ最大重力慣性力を与えていることが分かります。
金属円柱Aと水柱Bとを決定的に「分かつ」ものは、シリンダーCの存在です。金属円柱AはシリンダーCの介在が無くとも「自立」できます。これに比べて水柱Bは、シリンダー、すなわち「容器」の介在無しには「自立」できません。
この根本的な「違い」が、結局は「地上重力」と「水中重力」との「違い」となって現出します。
(20)物体の自立について
それでは金属円柱Aは何故「自立」できるのでしょうか?また逆に、水柱Bは何故「自立」できないのでしょうか?このことが次の問題となります。
このことを解明する為には、金属円柱A及び水柱Bを原子・分子レベルにおいて考察する必要があります。この原子・分子レベルにおいては原子・分子は「粒子」であり、一応「球体」とみなすことができます。
したがって、例えば密集した「ビー玉」に見立てることができます。このビー玉をテーブルの上に均一に広げます。そしてこのビー玉を「横」から両手で挟んで行きます。するとこのビー玉は、テーブル上を「縦」に広がって行きます。次にこのビー玉を同じく両手で「縦」方向から挟んで行きます。すると今度はこのビー玉は「横」に広がって行きます。
すなわち「横」方向の押力は「縦」方向の押力に変換し、逆に「縦」方向の押力は「横」方向の押力に変換します。すなわち、「横」方向の押力と「縦」方向の押力とは、互いに「相互変換」します。これはビー玉が球状であり、その球体の各接点において、合力あるいは分力が生じ、これらの合力・分力が相合わさって、横押力が縦押力に転換され、あるいは縦押力が横押力に転換されたことによるものです。
このように球体に一般に生じる合力・分力、その結果としての「横押力」と「縦押力」との「相互変換」が、金属円柱Aまた水柱Bに生じるのと考えられます。
この場面、テーブルという「平面上」での横押力と縦押力との「相互変換」を分析して来ましたが、「立体上」での上下押力と横押力との「相互変換」も同様に生じます。
ただし「平面上」における押力の相互変換と、「立体上」における押力の相互変換とでは、条件が異なります。その一つは「引力」の影響です。横押力が上押力に転換する場合には、「引力」による落下力に「逆らい」ながら作用します。逆に横押力が下押力に転換する場合には、「引力」に「従い」ながら作用します。これだけを見ると、横押力は下押力よりも上押力に転換し易い思われがちです。しかしもう一つの条件があります。
そのもう一つの条件は、物体の「密度」あるいは「結束度」などです。横押力が下押力に変換する場合には、水面の水分子はその運動がその下の水分子の存在によって「阻害」されることとなります。しかし横押力が上押力に変換する場合には、水面の水分子はその運動がその上の空気分子によってはさほど「阻害」されます。
以上二つ条件によって、横押力の作用の結果、水分子は基本的に上方向に運動することとなります。すなわちその部分の「水位」が「上昇」します。
しかし、いつたん上昇運動した水分子も、その「内部張力」が弱いためその形状・水位を保てず、崩れて水平化して行きます。以上により「増水」により「水位」が上昇しつつ、かつ水平は「水平化」していきます。
しかし、同じようにこの「相互変換」が金属円柱Aにも水柱Bにも生じるにもかかわらず、金属円柱Aは「自立」し、水柱Bは「自立」できないのでしょうか?すなわちその「結果」が異なるのは「何故」か?ここが問題となります。
(21)自立と内部張力について
ここで登場するのが「内部張力」です。
一般に「固体」にはこの「内部張力」が強く働きます。もっとも「粉体」や「粘体」といった多少の例外はありますが。これに比べて水のなどの「液体」、あるいは空気などの「気体」はこの「内部張力」が弱いです。この「内部張力」が「弱い」がゆえに、「液体」や「気体」、一般に「流体」となるのです。
ここでこの金属円柱Aは「固体」であり、強い「内部張力」を有します。そして、この金属円柱Aを「上」から強く押さえつけると、この「押力」によって、金属円柱Aの胴部には、「膨れ上がろう」とする力が生じます。すなわち「横押力」が生じます。この「横押力」はここでは「水平方向」に作用しているので、「水平押力」と呼ぶこととします。しかしここで金属円柱Aの「内部張力」が作動します。
この「内部張力」が「水平押力」に対して「抗力」として作用します。すなわち「水平抗力」として作用します。この結果、水平押力と水平抗力とは、互いに打ち消し合います。これにより金属円柱Aは円柱という「形態」を保つことができます。
またこの打ち消し合いの結果、残る「合力」は上下方向の力のみとなります。すなわち「重力慣性力」と「鉛直抗力」のみとなります。これらにより、金属円柱Aは「自立」することができます。
(22)水中の自立について
これに比して、「水」の場合にはそうは行きません。固体」に比べて「水」の内部張力は極めて弱いものです。このため、テーブルの上に水柱Bを置いたとしても、容器無しではその水柱は一瞬にして崩れ落ちます。
そしてその水柱は、崩れて水塊となり、瞬く間にテーブル上に「広がって」行きます。そしてその水塊は、薄い水層へと変化して行きます。そしてその中で、その水層の「厚み」は、一定の「均一」なものとなって行きます。
またこの水層が広がって行く中で、テーブル上における水の「鉛直抗力域」もまた広がって行きます。そして、その「鉛直抗力域」における各「鉛直抗力」の大きは、「均一」の同じ値となっています。
そうこうするうちに、やがて水層はテーブルの縁に到達し、水はそこからこぼれ落ちて行きます。
以上の結果・現象は、全て水の「内部張力」が極めて「弱い」ことに起因するものです。
この結果、水は一般に「容器」なしには「自立」できません。
一般に水は「容器」なくしては「自立」できない?それでは逆に、「容器」があれば水は「何故」自立できるのか?
それは水の「水平押力」に対して、「容器」もまた「水平押力」を生じるからです。そしてこの容器に生じる水平押力が、水の水平押力に対して、「水平抗力」として作用するからです。この結果、水の水平押力と容器の水平抗力とが、互いに打ち消し合い、その結果水は、「容器」の力を借りて、水柱の形態を保つことができるのです。
海の場合は、容器と呼べるものはありません。陸地が容器とも言えますが、実際には陸地の方が海の「中」にあります。それでも海の水が無限に薄く広がって行かないのは、東へ向かって作用する水平押力が、地球を半周する中で、西へ向かって作用する水平押力に対しては、「水平抗力」として作用するからです。そして同様に西へ向かって作用する水平押力が、地球を半周する中で、東へ向かって作用する水平押力に対しては、「水平抗力」として作用するからです。
以上のように、一般には、水は「容器」によって「自立」します。しかし完全な「自立」ではないので「準自立」と呼ぶこととします。
(23)水位の上昇について
ここでテーブルに戻ります。そして水がこぼれ落ちないように、テーブルの縁に「壁」を作ります。そしてテーブル中央から「やかん」で水を注入して行きます。ここで考察の便宜の為に水の「表面張力」は無視するものとします。
すると水はテーブル上に流れて行き、テーブルの他の端に到達します。そこでこの「壁」にぶつかります。そしてその「壁」に阻まれて、その箇所における水は少し「押し上げ」られます。そして水は次々と「押し上げ」られて行きます。
水が押し上げられるのは「壁」があり、その壁から水平抗力が生じるからです。水の水平押力と壁からの水平抗力とが「押し合い」ます。その「押し合い」の「合力」によって「持ち上げる力」が生じます。すなわち「上昇力」が生じます。かくして水平押力・水平抗力が、上昇力に転化します。しかしこの水が押し上げられ部分は、片側には壁がありますがもう片側には壁がありません。したがってこの部分には水平抗力が作用しないため、この部分はやはり崩れて「水平化」しようとします。
したがって「やかん」から供給される水は、壁で押し止められ少し盛り上がっては崩れて、水平化していきます。このようにして、「やかん」から水が供給される間、テーブル上の水の「水位」は全体が上昇して行きます。
(24)自立と横押力について
さて今度は「水位上昇後」の水の状態をより詳しく分析する為に、テーブルを離れてシリンダーに戻ります。
底面の平らな透明のプラスチック製のメスシリンダーに水を入れます。
水位上昇後の水の状態を見ると、シリンダーが円柱状を成している為、水もまた円柱状となっています。
そしてこの氷柱に「鉛直抗力」が順次作用して行きます。
そしてこの氷柱にも無数の「等圧面」が生じます。
この等圧面の各部分における圧力は「同じ」大きさです。
ここで金属円柱Aと氷柱Bとが異なるのは、「水平抗力」が、金属円柱Aについては金属円柱A自体から生じるのに比、氷柱Bについては水平抗力が容器から、ここではシリンダーから生じるという点です。
ここから次の違いが生じます。
金属円柱Aはシリンダー無しでも「自立」します。
水柱Bはシリンダー無しでは「自立」出来ません。
水柱Bが「準自立」できるのは、シリンダーの内部側面が、水に対して「横押力」を与えるからです。
水柱Bは、シリンダーからのこの「横押力」無しには「準自立」出来ません。
さてここでこのシリンダーの右中央部に「小穴」を開けるとします。
するとこの部分に対して、水の横押力が右方向に作用します。しかしこの小穴部分には、もはや横」押力が生じません。
この結果、その小穴部分における水分子は、右方向向かって運動します。すなわちその小穴から「外」に向かって噴き出します。
すなわちシリンダー内の水自身の「重み」による下押力とこれを支える鉛直抗力による上押力とが一体となって、横方向への「合力」を形成しますが、この小穴の部分が「開いて」いるため、この部分においてはシリンダーの左押力が作用できず、水は水自身の横押力(右方向横押力)によって、外へと噴き出します。
つまりここでは、「上下押力」が、「横押力」に転換しています。
(25)横押力と水深について
ここで、シリンダーCの右隣に同様のシリンダーDを置き、その底部付近同士を細い「導管」でつないでみます。すなわちシリンダーCとシリンダーDとから成る「連通管」をつくります。そしてこの導管部に「バルブ」をし、開閉できるものとします。
そしてまずシリンダーCとシリンダーD内の水を抜き、「空」(カラ)にします。そして、バルブを閉じておきます。
次に「やかん」でシリンダーCに水を入れて行きます。するとシリンダーCC内の水の水位が上昇して行きます。しかしバルブが閉じている為に、バルブD内は「空」(カラ)のままです。
こうする内に、シリンダーC内は水でいっぱいとなります。
この状態でバルブを開けると、シリンダーC内の水がシリンダーD内へと噴き出して来ます。そしてシリンダーD内の水の水位が上昇して行き、シリンダーDと導管の接合部、すなわち導管の「開口部」に到達します。この開口部に到達しても、シリンダーDDの水の水位の上昇はまだ止まりません。
シリンダーD内の開口部より上にも水が溜まっています。その水によりシリンダーDの開口部においても重力慣慣性力が生じています。一方この重力慣性力を支える「鉛直抗力」も同様に生じています。この重力慣性力と鉛直抗力とに挟まれて、シリンダーDの開口部には「横押力」が生じています。そしてこの「横押力」は、導管を伝ってシリンダーCから流入してくる水分子に対しては、左方向の横押力を与えます。
他方シリンダーC内の開口部にも同様の重力慣性力、鉛直抗力、そして横押力を生じます。そしてこの横押力はシリンダーC内の開口部付近における水分子に対しては、右方向の横応力を与えます。
かくして導管部においては、シリンダーC内からの右向き横押力と、シリンダーD内からの左向き横押力とがぶつかり合います。
しかしこのそれぞれの横押力の「大きさ」を決めるのは、それぞれにおける重力慣性力と鉛直抗力です。しかし鉛直抗力は「抗力」であり、「受動的」な力です。したがって「主導」するのは重力慣性力です。この重力慣性力の大きさは「質量」に比例します。そして水の質量は、水の「体積」に比例します。ここで事例を単純化して「立方体」を考えると、水の「体積」は「高さ」(すなわち「水位」)×「底面積」となります。かくして水位が高くても底面面が広くてもその水の「総質量」は大きくなります。しかしこの「底面積」が大きくなるということは、この水の質量を支える水分子も多くなる、ということです。したがって「個々の」水分子にとって、その受け持つ「重力慣性力」には「変化が無い」こととなります。
そして「個々」の水分子の隣には同じく「個々」の水分子が存在します。
そしてこの「個々の水分子」同士は互いに横押力を及ぼし合い押し合っています。したがって個々の水分子に生じる横押力の大きさが変化しても、その「隣」の水分子に生じる横押力の大きさも全く「同じ」となります。この結果、個々の水分子に生じる横押力がどのように変化しようとも、そこに生じる横押力は隣接する水分子に生じる横押力によって、相殺されます。これにより各水分子に生じる横押力をいかに「合成」しても、その横押力の「大きさ」は「一定」となります。
したがって導管部付近の「個々の」水分子にとって、支えるべき重力慣性力は、「水位」によってのみ定まる、ものとなります。
したがってこの場合「横押力」の大きさもまた、「水位」によってのみ定まります。
ここで導管部付近において考察したことは、水中におけるあらゆる「地点」において同様に成立します。
ただし「地上」ではなく「水中」における「地点」を「地点」と呼ぶのは適正ではありません。したがってここではあえて「地点」とは呼ばず、「水点」と呼ぶこととします。そして任意の「水点」から「水底」までの「高さ」を「水高」と呼ぶ事とします。
ここで「水位」とは一般に「水底」から「水面」までの高さです」
また一般に「水深」とは、「水面」から任意の「水点」までの「深さ」です。
したがって「水位=水深+水高」となります。
すなわち「水深=水位-水高」となります。
したがって任意の「水点」の位置が定まれば、その「水点」における「横押力」の大きさは、その「水点」における「水深」のみによって定まります。
この結果、次の重要な結論が導かれます。
「水深」が「同じ」であれば、その「水深」における各「水点」に生じる「横押力」は「全て同じ」、ということとなります。
すなわち、各「水深」ごとに、「同一」の「横押力」が生じることとなります」
つまりは、各水深ごとに、横押力における「等圧水層」が形成されることとなります。
(26)水位上昇と横押力について
以上のことを踏まえて、シリンダーCへと戻ります。
シリンダーCからシリンダーDへと次々と水が流入してきます。
シリンダーCの導管開口部における「横押力」は、その「水点」におけるシリンダーC内の「水深」に依存します。同様に、シリンダーDの導管開口部における「横押力」は、その「水点」におけるシリンダーD内の「水深」に依存します。
したがってシリンダーC及びシリンダーD内の各「水点」の「水高」が同じであれば、各水点における「水深」の大きさによって、したがって各「水位(=水深+水高)」によって、そこにおける「横押力」の大きさは定まります。
したがって、シリンダーCの「水位」が、シリンダーDの「水位」に比べて「高い」あいだは、シリンダーC内の水の「横押力」が、シリンダーD内の水の「横押力」より「大きい」ため、導管部における水は、シリンダーD内のへと流れます。
この時、シリンダーD内の「水位」がしだいに「上昇」して行きます。即ち、シリンダーD内の水が、「引力」に「逆らって」上昇して行きます。
これは見方を変えると、水のこの部分に一種の「浮力」が生じているとも見えます。あるいは「浮力」の「萌芽」があるとも見えます。いずれにしても、「引力」に「逆らって」の この水の「上昇」は、「浮力」とは何かを示唆しているものと考えられます。
それでは、「何故」水が「上昇」して行くのでしょうか?その「原動力」は何でしょうか?
それはこれまで見てきたように、導管部に作用するシリンダーCの「横押力」です。これをより「正確」に言うならば、導管部におけるシリンダーC内からの右横押力と、シリンダーD円からの左横押力との「差圧」がその「原動力」であるということができます。
その横押力の「差圧」によってシリンダーD内の開口部における水点に、横押力が「付加」されます。そしてこの「付加」された「横押力」は、その「水点」のある「水層」全体に広がって行きます。
そしてその水点における「等圧水層」を形成して行きます。そしてその「等圧水層」は「横押力」において「均等」です。そしてその「横押力」同士が押し合う結果、その「合力」が上・下方向に生じます。上方向への合力は「引力」に「逆らい」ます。下方向への合力は「引力」に「従がい」ます。これだけを見ると、この合力+引力による結果は、下方向に優勢と思われます。しかし、下方向には最終的には密度が高い「水底」が在ります。他方、上方の「水面」には密度の低い「空気」があります。よってこの『等圧水層」における「横押力」の「合力」の「結果」、この「等圧水層」における水分子は「上へ」と押し上げられます。 この「等圧水層」における上方向への合力と下方向への合力の大きさが例え「同じ」であっても、その「合力」の「結果」水は上方向ヘと運動します。つまり「上昇」します。
ここで、もし上方に空気ではなく「鉄板」があれば、いかに横押力」を強めようと、水は「上昇」しません、
逆にシリンダーの「底」が抜け、「底面」が「空気」となった瞬間、水面と底面の密度が「同じ」となる結果、「引力」による作用が優勢となり、シリンダー内の水は即座に「落下」を始めます。
以上により、通常の場合、「横押力」は「上昇力」に転換します。すなわち「一種の浮力」に転換します。
とはいってもこの「一種の浮力」は厳密には「浮力」そのものではありません。したがってこの「一種の浮力」を「準浮力」と呼ぶこととします。
「準浮力」は、完全に密閉され、その容器内が全て水で満たされたような場合には、そもそも「水面」がなく、したがって「水面上昇」を観念することとができません。しかし「浮力」は密閉された容器内においても生じます。
このように「準浮力」と「浮力」とでは異なる点がってあります。
しかしこの「準浮力」、すなわち「水面上昇力」の根本的な要因が、「横押力」にあること、そしてこの「横押力」が水面上昇力に「転換」していくこと、このことは「浮力」の本質、浮力の根本的要因が「何」であるかを示唆しています。
(27)鉛直抗力の鉛直性について
以上見たように、一定の条件の下で、上下方向の押力は横押力へと転換し、横押力は「上昇力」へと転換します。
かくして、シリンダーC内からの水の流入によって、シリンダーD内の水の水位が上昇していきます。そしてこのシリンダーCとシリンダーDとにおける水の「水位」が「同じ」となった時点で、導管部における横押力の「差圧」が「零」となり、この水の上昇は「停止」します。
この時、シリンダーCとシリンダーDにおける「水位」が「等しく」なった結果、シリンダーC内とシリンダーDに任意の水点において、そのそれぞれの「水深」が「同じ」であれば、その各水点における横押力も、重力慣性力も、また「鉛直抗力」も「等しく」なります。この状態において、水は「静止」へと到ります。
一旦「静止」の状態に至り、それ以上の変化を与えなければ、もはやシリンダーCとシリンダーDとは、互いに影響を与えません。 したがって、ここでバルブを閉じたとしても、もはやシリンダーCにもシリンダーDにも、何らの変化も生じません。
この結果、次のことが分かります。
この状態において、シリンダーC内の水を「支える」鉛直抗力は、シリンダーCの底面からのみ生じており、またシリンダーD内の水を「支える」鉛直抗力もまたシリンダーDの底面のみから生じています。
そしてこの各シリンダー内には「水」しかありません。したがってこの「鉛直抗力」は水底から、水自体を通じて伝達されるものと考えられます。
しかし、「固体」と違って「水」は液体であり、液体には「流動性」があります。そしてそのような「液体」がそもそも「鉛直抗力」を伝達できるのか、が問題となります。
水は「液体」であって流動し、したがって「鉛直性」そのものを保つことが困難です。そのような「水」が、「どのように」「鉛直性」を保持できるのか、ということが次の問題となります。
ここで細長い「針」を想定します。
そしてこの針を地面に突き刺すことなく、その「尖端」で立たせます。しかし、針はすぐ倒れます。
すなわちこの場合この「針」は「鉛直性」を保つことができません。
しかしこの針を束にして、容器で囲えば、この針一本一本を直立させることができます。すなわち「鉛直性」を保持することができます。
そしてこの場合、この針一本一本に生じる「重力慣性力」は、その針一本一本が直立する「地面」から供給されます。すなわち針一本一本は、それぞれ「独立」して「鉛直抗力」が作用しているものと考えられます。
すなわち針一本一本について、「鉛直抗力」はそれぞれ「独自」に生じているが、この「鉛直性」を担保するものは、針同士が「横に押し合う「横押力」である、ということができます。「液体」である「水」についても「同様」である、と考えられます。
しかしとはいっても、「固体」である「針」と、「液体」である「水」とでは「違い」もまたあります。
針は「固体」であるため、針の分子は「隣」の針へと「移動」しません。
しかし、水は「液体」であるために容易に「隣」へ「移動」することができます。
(28)水の横移動と横押力
しかし、重要なのはここからです。
水は、そして一般に液体は、この「横移動」によってく「横押力」そのものを「一定」に保持しています。
具体的には、水中の在る部分を「ミニ水塊」とします。
そして何らかの「ゆらぎ」によってこの「ミニ水塊」における「横押力」が大きくなったとします。
するとこの時この「ミニ水塊」と隣接する水部分との間に、「横押力」の「差圧」が生じます。そして、この「差圧」によって、「ミニ水塊」における水分子は隣接する水部分へと「移動」します。
これは、「連通管」の「導管部」における水分子の移動と同じ現象です。
そしてこの「移動」によって、「ミニ水塊」内の「横押力」は「減少」します。この結果、「隣接」する水部分との横押力の「差圧」が無くなります。
この結果、この水層域における「横押力」は、「均等化」し、「一定」となります。
逆に、何らかの「ゆらぎ」によって、この「ミニ水塊」における「横押力」が小さくなったとします。
するとこの時この「ミニ水塊」と隣接する水部分との間に、「横押力」の逆の「差圧」が生じます。そしてこの「差圧」によって、「ミニ水塊」における水分子は隣接する水部分から「ミニ水塊」部分へと「移動」します。
これも「連通管」の「導管部」における水分子の移動と同じ現象です。
そしてこの「移動」によって「ミニ水塊」内の「横押力」「増加」します。この結果、この水層域における「横押力」は「均等化」し、「一定」となります。
以上の点が、「固体」と液体との「決定的」な「違い」となります。
これにより、水がいかに撹乱されようとも、水が「静止状態」に復帰するとともに、各水点について、その水点か存在する小層」の「横押力」は「均等化」し、「一定」となります。
そしてこの「横押力」の「合力」の結果である「上押力」についても、「下押力」についても、「その水層域においては」「一定」となります。
つまり任意の水点において、その水点を含む「等圧水層」が成立します。
そ して各水点は、当該水の水面から水底に到るまで、無数の水点が存在するのですから、この水中にはまた無数の「等圧水層」が存在することとなります。
そして任意の水点において、その任意の水点における水分子がその上に位置する水の質量を支えますが、その質量の大きさは、そこに含まれる水の量(体積)に依存します。そしてその水の体積は、その水点から水面までの距離、すなわち「水深」に依存します。
したがって、「各水深毎」に、考「水深に応じた」等圧水層が形成されることとなります。
(29)水中鉛直抗力の定常性について
水中において、「各水深ごとに等圧水層が形成される」、このたった一行により「水中重力」は「地上重力」とは根本的に「異なる」ものとなります。
確かに水中重力もまた重力慣性力です。そしてまた地上重力もまた重力慣性力です。「重力慣性力」という点では、「水中重力」も「地上重力」も「同じです。
しかしこの重力慣性力を形成する大本は「鉛直抗力」です。
そして、水中重力と地上重力とでは、そもそもこの「鉛直抗力」の性状が「異なる」のです。
これまで分析したように、水中においては、「各水深ごとに等圧水層が形成されるのです。
したがって、任意の水点における「鉛直抗力」もまたその「水深」によって、一義的に定まります
言い換えれば、その「水点」に「何があろうと」、その水における「鉛直抗力」は「同じ」なのです。
すなわち、任意の水点・水層における「鉛直抗力」は、「水深」によってのみ一義的に定まり、「一定」です。
「水中鉛直抗力」のこの性状を「定常性」と名付けることとします。
したがって、「水中鉛直抗力」とは「定常鉛直抗力」である、ということができます。
これに比して、「地上鉛直抗力」はこれとは異なります。
水中の「水点」を、地上における「地点」に置き換えてみます。
するとその「地点」荷重する物体の質量に「応じて」、その「地点」における鉛直抗力は「増減」します。すなわち「地上鉛直抗力」においては、その値が、そこに付加する「質量」に「従って」「変化」します。「地上鉛直抗力」のこの性状を「従変性」と名付けることとします。
したがって、「地上鉛直抗力」は、「從変鉛直抗力」である、ということができます。
このように「同じ」鉛直抗力であっても「水中鉛直抗力」は「定常性」を有し、「地上鉛直抗力」は「從変性」を持つ、このことにより各鉛直抗力によって生じる各「重力慣性力」も、互いに「異なる」ものとなります。
ここに「地上重力」とは「異なる」「水中重力」の存在が明確となります。
したがって、ここに改めて「引力」と「重力」とは「異なる」こと、そして、「引力」とは異なるもう一つの「重力」、すなわち「水中重力」の存在が明確となります。
「水中鉛直抗力」、また「水中重力」の存在が明確になってはじめて、「浮力」の「謎」の解明への「糸口」にたどり着きました。
地上重力「だけ」をどのように分析しても「浮力」の「謎」の解明はできません。「水中重力論」の展開によってのみ、「浮力」の「謎」を解明することができます。
さて「浮力」を考察するにあたり、思考の混乱を避ける為に、「静止」した水の状態について考察を進めることとします。
「静止」した状態ですので、もはや水面は「上昇」していません。水面が「上昇」していないので、「浮力」の考察においては、水が栓をした瓶など「密閉容器」に入れられておろうと、コップの中の水のように「開放容器」に入れておられようと、基本において「同じ」ことです。
しかしここでは考察の便宜と簡便化の為に、コップの中の水のように、上部が空中に開放された容器における「水中重力」について、考察することとします。
(30)水中鉛直抗圧
ここで「水中鉛直抗力」は、「定常鉛直抗力」でした。そして「定常鉛直抗力」においては、任意の水層においてその任意の水層における「鉛直抗力」はその支える水の「質量」によって定まり、その水の質量は「水深」によって定まりました。
したがって、任意の水層における「鉛直抗力」は「水深」によって定まり、かつ、「同じ「水深」における「鉛直抗力」の大きさは、全て「同じ」ということとなります。
具体的は水深10cmの水層における、面積10cm×10cmの「水層域」Sを例とし考えてみます。
するとこの「水層域」上の水の体積は、10cm×10cm×10cm=1000㎤であり、したがって、1L(リットル)です。水1Lの質量は1kgです。
したがってこの10cm×10cmの水層域Sは1kgの水の「質量」を支え、かつ「静止」しています。
したがってこの水層域に作用する「水中鉛直抗力」は1kg(正確には1kg重)です。これを「圧力」に換算し、この「圧力」を「鉛直抗圧」と呼ぶこととすると、水深10cmの水層域における圧力(鉛直抗圧)は、1kg=1000gなので、1000g÷100㎠=10g/㎠ となります。
同様には水深20cmにおける「鉛直抗圧」は20g/㎠であり、水深lmにおける鉛直抗圧は100g/㎠ となります。
これは地球上であれば、全て「同様」となります。
このように地球上であれば、それがどこであろうと、「水深」が「同じ」であれば、そこに生じる「鉛直抗力」・「鉛直抗圧」も全て「同じ」となります。
このように「水中鉛直抗力」は、「定常性」を持ちます。
また「水中鉛直抗圧」は、「定常性」を持ちます。
なお「地上重力」と異なり「水中重力」では、「底面積」が重要となる場合が多々あります。この「底面積」の大小によって、その底面積で支える水等の体積と質量が変わってくるからです。ただし「底面積」といってもここで「底面積」というのは、その物体を下方から見た「投影底面積」であって、底面部の「表面積」ではありません。具体的に「球体」であれば、その球体の「投影底面積」は、球体の球面では無く、単純な「円」となります。なおこの「投影底面積」は、物体を真上から見た場合の物体上面の「投影面積」と全く同じ大きさとなります。ただし「左右対称形」となります。
このように水中重力でおいては、底面積が重要とはなりますが、一々「底面積」を考えるのも面倒です。
したがって「水中重力」について考察する場合、「鉛直抗力」を「圧力」に換算した「鉛直抗圧」で考察する方が、一々「底面積」の大きさを考える必要が無く、便利である場合があります。
なお「圧力」の単位は本来Pa(パスカル)や、あるいはN(ニュートン)を用いてN/㎠等と表記すべきであり、「質量」の単位であるg(グラム)を「力」の単位として用いることは本来不適切なのですが、分折を「分かりやすく」するために「あえて」「g/㎠」あるいは「kg/㎠」等と表記することとします。
(31)水中鉛直抗力と地上鉛直抗力の相互転化について
以上により、「水中鉛直抗圧」が「定常性」を持ち、かつその「鉛直抗圧」の大きさが、「水深」にのみ依存することが明らかとなりました。
したがって「水深」が「零」である「水面」においては、「鉛直抗圧」もまた「零kg/㎠」となります。
ここに「水中鉛直抗力」・「鉛直抗圧」と、「地上鉛直抗力」との決定的な「違い」があります。
物体Aを『地面」が支える場合、その物体Aの「底面」にはその物体Aに生じる「最大重力慣性力」が生じ、「地面」はこの物体Aの「最大重力慣性力」を、その物体Aに対する「最大地上鉛直抗力」で支えます。
しかし「水中鉛直抗力」においては、「水面」に物体Aを置こうとした場合に、その物体Aに対する「水面」における「水中鉛直抗力」は「零」なのです。
この「原因」はこれまで述べたように、「地面」は「固体」であり、したがって一般には強力な「内部張力」が作用しますが、「水面」は「液体」であるため一般には強力な「内部張力」が作用しません。このため、物体Aの設置によっても地面の「地塊」は左右に崩れず、地面は「鉛直性」を保持できます。しかし「液体」である水は、物体Aの設置・貫入によって、水面付近の「水塊」が容易に左右に崩れます。この結果、水面は「鉛直性」を保持できません。すなわち「鉛直抗力」を維持できません。
このように、「地上鉛直抗力」において「地面」は、一般に物体Aによって「地塊」の崩壊・移動はしないが、「水中鉛直抗力」」において「水面」は、一般に物体Aによって「水塊」が崩壊・移動します。すなわち「水面」では、「水中鉛直抗力」は物体Aを「支えきれない」のです。すなわち「水面」での「水中鉛直抗力」は「零」となります。
しかし、この「水面」から物体Aが1mmでも沈下すると、ここに「水中鉛直抗力」が生じてきます。そしてこの「水中鉛直抗力」・「水中鉛直抗圧」の大きさは「水深」に依存します。すなわちその水深においてその水深の水自体が支えている「その上部」にある「水の質量」に比例します。上部の水をその下部の水が支え、その下部の水はさらにその下部の水が支え、・・・そしてこの連鎖は、「水底」へと到るまで続きます。
そして最終的には、この「水全体」の重さは「水底」が支えます。
すなわち「水底」における「地上鉛直抗力」が支えます。
このように「地球」においては必ず「水底」が存在します。そして「水底」から「地上」鉛直抗力が、その上部の水の質量を支えます。
すなわち「水中鉛直抗力」は水底における「地上鉛直抗力」を基礎として、成立します。
逆に言えば、水底からの「地上鉛直抗力」は、水中において「水中鉛直抗力」に「転化」します。
さらに補足すれば、「船上」においては、「水中鉛直抗力」は船上における「地上鉛直抗力」に「再転化」します。
さらに、「船上における「コップ」の中の水には、船上における地上鉛直抗力からコップ内の水における水中鉛直抗力へと「再々転化」します。以上のように地上鉛直抗力と水中鉛直抗力との「相互転化」が可能なのは、「地上鉛直抗力」と「水中鉛直抗力」のいずれもが「鉛直抗力」であるからです。
(32)水中重力の定義について
以上のように「水中鉛直抗力」と「地上鉛直抗力」との「差異」と「同一性」の両面が次第に明らかになってきました。
そしてこのことが「水中重力」と「地上重力」との「差異」「同一性」とに直結することとなります。
ここで「水中重力」とはそもそも何か、ということを明確にしおかなければなりません。
「地上重力」とは「地上鉛直抗力」が物体A中に浸透する過程において、その「加速度伝搬の遅延」を生じ、それが「重力慣性力」を生じる、というものでした。
したがって「水中重力」を明確に「定義」しようと思えば、「地上重力」に係る文脈に沿って定義するほかありません。
したがって、「水中重力」とは、「水中鉛直抗力」が物体Aに浸透する過程において、「その「加速度伝搬の遅延」を生じ、その「加速度伝搬の遅延」によって生じる「水中重力慣性力」が、「水中重力」である、ということになります。
したがって「水中重力」とは何かを一言でいえば、「水中重力」とは『水中重力慣性力」である、と言うことになります。
逆に言えば、「水中重力慣性力」でないものは、「真の」水中重力では「無く」、一見それが「水中重力」に「見えた」としても、それは「見かけ」の水中重力であり、「現象水中重力」である、と言えます。
補足ですが物理世界では「本質」と「現象」とがしばしば「乖離」します。そして「本質」が本質とは「異なる」姿で現象することがあります。こうした「現象」を「仮象(かしょう)」と呼んでいます。
「仮象」と「錯覚」とは、一定異なります。「錯覚」は、「思い違い」や人間の「感覚」の特性に基づくものですが、「仮象」は「物理法則」に基づき「必然的に」生じるものです。
真っ直ぐな「棒」を水中に半分浸けると「曲がって」「見えます」。これは「光の屈折」という「物理法則」によるものであり、そう「見える」のが「正しい」のです。しかし「光の屈折」の知見と総合的な判断により、棒は曲がっていないのに、曲がって「見える」ことが分かるようになったのです。
物理世界はこのような「合法則的」な「仮象」に満ち満ちています。まさにそれが故に「科学」が発達し、また哲学が必要とされる所以です。
水中重力においても、「本質」と「現象」との「乖離」が一定生じます。
その結果、「何が」本当の「水中重力」なのか、あるには「何が」「現象水中重力」であって「みかけ」の水中重力なのか、分からなくなることがあります。その時は原点に立ち返って水中重力「慣性力」のみが、真の「水中重力」であることを思い起こす必要があります。
(33)水自体に生じる水中重力慣性力について
以上を踏まえて「真の」水中重力の分折・考察へと進みます。
水中重力の分析のために、まず1辺が10cmの立方体を考えます。そしてその上面が水面に接しているものとします。そしてこの立方体を構成しているのが「水」だとします。すなわちこれは、水中に1辺10cmの「観念上」の水の「立方体」を作ったことと同じです。そしてこの周囲の水と、立方体中の水とは、相互に「移動」できる状態にあります。こうした状態で、水の各部分に作用する水中押力によって、水中鉛直抗力の鉛直性が保たれています。
この「観念上」の立方体の水は、実際には「箱」等にはいっていない「生身の水」なので、この中の水は、「直接に」隣接する水分子と「横押力」を与え合っています。そして「相互横押力」によって、相互の「横押力」は「均等化」します。この「相互横押力」によって、水は崩壊せず、水中における鉛直抗力が保持されます。
そしてこの水の立方体の各種部における水中鉛直抗力・水中鉛直抗圧は、「定常鉛直抗力」であることにより、これと同じ「水深」における他の部分の水中鉛直抗力・水中鉛直抗圧と同じ大きさとなっています。ここでこの「立方体」の「底面」は、「水深」10cmのところにあります。そして水深10cmにおける水中鉛直抗圧は10g/㎠です。したがって当立方体の「底面」に作用する「水中鉛直抗力」は10×10×10=1000g=1kgとなります。そしてこの時この底面の水中鉛直抗力はその上部の水の質量を支え、「静止」しています。すなわち「水中鉛直抗力」と「水中重力慣性力」とが「つり合って」います。したがってここに生じている「水中重力慣性力」すなわち「水中重力」もまた1kg(1㎏重)です。
そしてこの「立方体」をさらに10cm沈めます。するとこの立方体の上面には、同様に、1kgの水中重力が生じます。同時にまたこの立方体自体にも1kgの水中重力が生じます。その結果、この立方体の「底面」には2kgの水中重力がかかりますが、水深20cmにおける水中鉛直抗圧は20g/㎠なので、水底には20×10×10=2000g=2kgの鉛直抗力が生じます。するとこの場合も水中重力2kgであるのに対し、水中鉛直抗力もまた2kgなので、これも「つり合い」、水中に「静止」します。
ここまでは、水同士の関係なので、いわば「当たり前」の話しです。しかしこの「当たり前」のことが、「浮力」の本質を解明する上で、重要なポイントとなります。
次にこれを少しひねります。
上記の「水」はいわば生身の「水」でした。
次には1辺10cmの立体形の『箱」の中に水を入れて水深1 0cmと20cmとの間に置きます。
これは、「シリンダー内の水」に相当します。
「箱」の中の水は、もはや「直接」には隣の水分子と「接触していません。したがって「箱」の内外の水分子同士は「直接」には「横押力」を与えあってはいません。しかし今度はこの 「箱」自体が「箱」内の水分子に対して「横押力」を与えます。したがってこの場合においても、箱内の水は崩壊せず、したがって「箱」内における水についても、鉛直抗力を保持することができます。
ここで考察の便宜のために、この箱に質量も厚みもないものとします。この場含上記の「生身の水」と異なる点は、この箱の中の水が外部と自由に移動できないことです。しかし この場合であってもこの箱の上面には1kgの水の荷重がかかり、この箱の中の水にも1kgの水中重力慣性力が生じます。
その結果、合計2kgの水中重力慣性力を、箱の底面部分に生じる20g×10×10=2000g=2kgの水中鉛直抗力が支えます。
結局、生身の水も箱の中にも1kgの「水中重力慣性力」が生じます。
(34)固体における水中重力慣性力について
次に「水」の代わりに、1辺が10cmで「比重1」の「固体」の立方体を、水深10cmと水深20cmとの間に置きます。
この場合は、この団体の内部自体に「内部張力」が生じます。したがってこの団体の内部張力によって崩壊を免れます。したがってこの場合も、この固体において、鉛直抗力は保持されます。
すなわち「水中重力」成立の「前提」条件が保持されます。
ここで一般に「加速度伝搬の遅延」は、質量か有する「慣性」によって生じ、「慣性力」はこの「加速度伝搬の遅延」によって生じます。そしてこの「加速度伝搬の遅延」によって生じる「慣性力」の大きさは、この「慣性力」を生じる物体の「質量」に比例します。
したがって液体である「水」と異なる「固体」であっても、その「比重」が「1」であれば、すなわちその「比重」が水と「同じ」であれば、この1辺が10cm、体積が10×10×10=1000㎤の体積中の「質量」の大きさも「同じ」です。したがって、この1辺10cmの立方体における「慣性力」、ここでは「水中重力慣性力」の大きさも「同じ」となるはずです。
かくしてこの水中の「固体」においても、その上面が1kgの水の重力慣性力を支え、その団体自体にも1kgの重力慣性力を生じ、合計2kgの水中重力慣性力を、この立方体の底面に生じる水中鉛直抗力が支えていることとなります。
ここで少し脇にそれますが、あらためてこの「固体」の立方体を観察してみます。
すると水深10cmと水深20cmとの間の水中に立方体の団体が「浮いて」います。すると「人間の目」には、この物体Aの水中「での」重力が、「零」であるかのように見えてしまいます。またそう「見える」ほかないのです。しかし、実際にこの固体に生じている「水中重力」、すなわち「水中重力慣性力」は1kgであり、かつ2kgの水中鉛直抗力が、その固体とその上部の水とを、支えているのです。
しかし「人間の目」には、この1kgの水中重力慣性力も2kgの水中鉛直抗力も見えようがありません。「感覚の目」によってではなく「分析の目」によって、この見えない「水中重力慣性力」と「水中鉛直抗力」とが「見える」ようになるのです。
ともあれ「人間の目」には、この固体の水中「での」重力が「零」であるかのように見えます。すなわち「本質」と「現象」とが「乖離」し、「仮象」が生じているのです。
そして、一旦この「仮象」が「本質」であると誤認してしまうと、「水中重力」の「本質」が何かが全く分からなくなってしまいます。
その結果、いわゆる「浮力」の本質も分からなくなってしまいます。
(35)水中重力の二重性について
また「水」自体において、その「内部張力」が極めて弱い為、次の点でも「水中重力」は「地上重力」とは「異なって」きます。
結論的に言えば、「水中重力」は「二重性」を有し、「地上重力」は「単独性」を有する、ということです。
これだけでは何のことかが分からないので、説明を加えます。
まず「地上重力」において、物体Aを地面Bに置いたとします。すると一般には、その物体Aは地面Bに「沈みこみ」ません。したがって一般には、物体Aが、地面Bに「貫入」することによって、地面Bにおける「地塊」が排除・移動されることはありません。したがって「地上重力」においては、この「排除」される「地塊」の質量及び「地塊」の「重量」を考察する必要がありません。したがって「地上重力」においては、「物体A」が生じる重力慣性力「のみ」が考察の対象となります。これは「地上重力」における「単独性」と称することとします。
これに対して、「水中重力」は「二重」に生じます。
一つは「水中」において物体A自体に生じる「水中重力」です。
もう一つはこの物体Aの水中への貫入によって、「排除・移動」させられる「水塊自体」の質量」と、その水自体に生じる「水中重力」です。
「水中重力」の考察においては、この物体Aに生じる重力慣性力と、この物体Aによって「排除・移動」させられる水塊自体の質量・重量の、その「双方」を考察する必要があります。
「水中重力」においては、貫入する物体Aの重力と、この貫入によって「排除・移動」させられる水塊自体に生じる重力と、この「二つ」のタイプの「水中重力」が「同時生成」される、ここに着目して、水中重力におけるこの性質を、「二重性」と称することとします。
この「水中重力」の「二重性」により、「水中重力」には「地上重力」とは異なる、新たな「仮象」が生じます。
この「仮象」は、いわゆる「アルキメデスの原理」においても潜んでいます。
「アルキメデスの原理」では、「流体中の物体は、その物体が押しのけている流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮力を受ける」とされています。
すなわちここでも「浮力」はこの「排除・移動」させられた「流体」(ここでは「水」)の重さ(重量)」と「同じ大きさ」の「上向きの浮力」を受ける、とされています。
ここでは、「排除」された水自体が、「浮力」の「原因」である、とまでは書かれていません。しかし逆に「浮力」の「原因」については何も書かれていない為、この「アルキメデスの原理」を素直に読むと、「浮力」の「原因」は「排除された水」にある、との結論に至ってしまいますし、それ以外に解釈のしようがありません。
しかし「浮力」の「原因」が「排除された水」にあるとするのは、やはり奇妙な「結論」となります。
「浮力」の根本的な「原因」は、「排除された」水にある、のではなく「排除した」物体Aの側にあるのです。
物体Aが水中へと貫入し、これとともに物体Aが「水中重力」を有しまた「浮力」を有していく、これと「同時」、その貫入した部分の水塊が、「排除・移動」させられる、この「二重性」及び「同時性」によって、あたかも「排水される水」の側に「浮力」の「原因」であるかのように、「見えます」。
すなわちここにも「仮象」が生じています。
「浮力」の「本質」は、水中へと貫入する「物体A」に生じる水中重力の側にあります。
しかし「人間の目」には、「物体A」についての水中重力は「見えず」、「排除」される「水塊」の重量のみが目にとまります。そしてこの結果、「浮力」の「本質」が、あたかも排除される水の側にあるかのような「仮象」が、「必然的」に生じるのです。
ちなみにビーカーいっぱいに水を入れ、ここに物体Aを貫入させると、排除された水はビーカー外に溢れ出ます。
この溢れ出た水の重量を計量することにより、この物体Aの「比重」を簡単に計算することができます。このように「仮象」であっても「日常生活上」は、有効に活用することができます,
これは太陽が東から出るのは、地球が自転しているからではなく、太陽の方が回転しているからだと考えても、「日常生活上」は何ら支障がないことと同じです。
しかし一旦「本質」を解明しようとなれば、「本質」と「仮象」とを厳密に区別する必要が生じてきます。
(36)成分鉛直抗力と浮力について
さて本題に戻りまして、「浮力」といえばこの「比重1」の固体は、水中に「浮かんで」います。そして「静止」しています。それではここで「何故」この固体は「静止」しているのかが問題となります。言い換えれば、「何故」上昇も下降も「しない」のかが問題となります。
その答えは「水自体」にあります。「対流」によるものは別として、一般に水自体は「静止」しています。それは水中の水自体について、水深の各層において、そこに累積された水中重力慣性力とその層における水中鉛直抗力とが、「つり合って」いるからです。そしてこのシリンダー内の水自体は、この「つり合い」によって「静止」しているからです。
ここで「慣性力」は「質量」に比例します。したがって、「水と同じ比重」の固体は、その部分における「質量」が水と「同じ」であるため、水同様にその「重力慣性力」と「鉛直抗力」とが「つり合う」のです。その結果、比重1の固体は、水中に「静止」することができます。
このことは視点を変えれば、水中を「落下」しようとする固体Aを、水が支えていることとなります。1kgの固体の水中落下を、「水が」支えているのです。そしてこの「支える力」が「水中鉛直抗力」です。そしてこの「水中鉛直抗力」が、水中落下しようとする固体Aを、水中に「浮かして」いるのです。したがって「浮力」の本質には「水中鉛直抗力」があることが分かります。
しかし、「水中鉛直抗力」の全部がそのまま物体Aに対する「浮力」を形成するわけではありません。一般に水中鉛直抗力は、その「上部」の物体及び水自体を支えます。ここで水中鉛直抗力は、落下しようとする物体及び水自体を、「下から」支えます。したがって水中鉛直抗力が落下に対抗する力となる点において、この鉛直抗力は物体及び水自体に対して「上向きの浮力」を与えています。
したがって、水中鉛直抗力は一般に「二つ」の「成分」に分けることができます。その一つは「物体Aに対する」「成分」です。もう一つはその物体Aの「上部の水自体」に対する「成分」です。
そしてそれぞれ。の「成分」がそれぞれ「上向きの力」を、したがって「上向きの浮力」を与えています。
しかし一般には、物体Aの「上」の水自体に対する「浮力」はあまり問題とはなりません。
一般に問題となるのは、「物体Aに対する」鉛直抗力の「成分」です。そしてこの「成分」を「物体Aに対する成分水中鉛直抗力」あるいは略して単に「成分水中鉛直抗力」と呼ぶこととします。
このように、一般に物体Aに対する「浮力」を構成するのは、その水中鉛直抗力の「一部」である「成分水中鉛直抗力」です。残りの鉛直抗力は、物体Aの「上部」の水自体を支えるのに費やされてしまいます。すなわち物体Aの「上部」の水に対しては「浮力」を与えます。そして「水深」が深くなればなるほど、「浮力」に費やされる水中鉛直抗力すなわち「成分水中鉛直抗力」の比率は小さくなっていき、逆に物体Aの「上部」の水自体を支える部分の比率が大きくなっていきます。
このように一般に、水中鉛直抗力の「全部」が「浮力」に費やされるのではなく、その「一部」である「成分鉛直抗力」が「浮力」を形成するものとなる結果、「浮力」の「本質」はますます「見えにくく」なります。
(37)成分鉛直抗力の定常性について
ここで一概に「浮力」にも多様な形態があります。つまり「浮力」の「本質」は一つであっても、その「浮力」を生じる条件・要因によってその「現れ方」すなわち「形態」は様々なものとなります。これを一まとめにして考察しても混乱してしまいます。
そこでこの「浮力」を、段階的に考察していくこととします。
まずは以上のように物体Aが水中に「静止」しているに状態における「浮力」です。この静止状態における「浮力」を「静止浮力」と呼ぶこととします。そして考察の便宜のために、物体Aは「固体」であるものとします。
そしてこの「静止浮力」が種々の形態の「浮力」を分析するにおいて、その「原点」となりまた「出発点」となります。
「静止浮力」は物体Aが固体であるとして、その物体Aの「比重」が「1」のときに生じます。すなわち当該物体の比重が、水と「同じ」ときに成立します。
しかし「比重」が「1」のときに、「静止」するだけでなく、「外力」によって「移動」することもできます。
横に移動した場合、水中鉛直抗力の「定常性」により、その物体Aに対する「鉛直抗力」も鉛直抗力成分にも変化はありません。したがってこの場合、物体Aの「水中重力」にも変化はありません。
しかし物体Aが「外力」によって「下」に移動した場合、この「外力」によって別途「慣性力」が「上向き」に作用します。その結果、水中重力-慣性力=みかけの水中重力 となりみかけの水中重力は「減少」します。逆に物体Aが「外力」によって「上」に移動した場合、この「外力」によって別途「慣性力」が「下向き」に作用します。その結果、水中重力+慣性力=みかけの水中重力となりみかけの水中重力は増大します。
しかし「下」に移動する場合も「上」に移動する場合も、いったん「静止」の状態に復帰すると、「外力」による「慣性力」は消えて、再び「水中重力」のみの状態となります。
以上により、水中で物体Aをどのように移動させようとも、すなわち物体Aを水中のどの「位置」に置こうとも、その物体Aが水底あるいは水面に達しない限り、その物体Aに対する「成分鉛直抗力」は「同じ」であり、したがってその物体に生じる「水中重力」もまた「同じ」・「一定」であることがわかります。この成分鉛直抗力及び水中重力の性質を、「成分鉛直抗力の位置定常性」及び「水中重力の位置定常性」と呼ぶこととします。すなわち「成分鉛直抗力」及び「水中重力」には「位置定常性」があります。
ここで「位置」定常性としたのは、成分鉛直抗力及び水中重力にはもう一つの「定常性」があるからです。それが後に述べる「比重」定常性です。
以上「成分鉛直抗力」及び「水中重力」もまた、水中鉛直抗力と同様に、一定の「定常性」を持ちます。
(38)物体の側面と水中重力
「静止水中重力」の後には、「沈降水中重力」の分析に移りたく思いますがその前に水中重力について、もう一つ重要な分析を済ませておく必要があります。
それは水中における物体Aの「側面」が、水中重力に及ぼす影響の分析です。
「地上鉛直抗力」は、「側面」からも浸透してきました。それが「可能」であったのは、物体Aに対して「押力」と「張力」とが同時に作用し、その「合力」が鉛直抗力を形成できたからです。
無論「アーチ」のように「張力」は作用せず「押力」だけで「鉛直抗力」を形成する場合もあります。
しかし、「水」は「アーチ」のように「盛り上がる」構造となることはできません。したがって、「水」は「側面」から「鉛直抗力」を供給できないものと考えられます。
確かに「水中重力」においても水分子による「横横力」は極めて重要です。しかしその「横押力」は「鉛直抗力」そのものを形成するのではなく、「鉛直抗力」形成の「前提条件」を形成するのに過ぎません。すなわちこの「横押力」が無ければ、「水塊崩壊」し鉛直抗力そのものが成立しません。
以上により水中鉛直抗力は、「側面」からは浸透しないものと考えられます。
また水中の固体に対し、左右の横押力は互いに打ち消し合っています。このことよりも水中鉛直抗力は「側面」からは浸透しないものと考えられます。
以上「理論的」には、水中鉛直抗力は「側面」からは浸透しないものと考えられますが、実際にはこの当否を「実験」してみる必要があります。
しかし当面この実験をする設備を持ち合わせていませんので、あの「アルキメデスの原理」を応用してみます。
アルキメデスの原理によれば、その物体が排除する水の重量分だけその物体は「軽く」なるとされています。ここで水の重量は、水の「体積」に比例します。したがってここでは水の「体積」について検討を加えます。
まず縦10cm、横10cm、高さ10cmで体積1000㎤の水の立方体を考えます。
この時の上面面積は10×10=100㎠でこれは底面面積に同じです。そして側面面積は10×10×4=400㎠ です。
次に縦10cm、横5cm、高さ20cmの水の長方体を考えます。
この時の上面面積は10×5=50㎠でこれも底面面積に同じです。しかし側面面積は10×20×2+5×20×2=600㎠となり400㎠とはなりません。しかしこの場合であっても、その水の「体積」は「同じ」であり、したがってその水の重量分だけ「軽く」なるのです。
したがって「アルキメデスの原理」を援用しても、「側面面積」は、「浮力」に「影響しない」、すなわち「成分鉛直抗力」には「影響しない」ということができます。
(39)水中鉛直抗力の局所性について
「側面」から「成分鉛直抗力」また「鉛直抗力」が浸透しないならば、物体Aに対する水中鉛直抗力は、その「直下」から供給されるものと考えられます。
そしてその「直下」をたぐっていくと、最終的には「水底」へと到達します。
すなわち「水中鉛直抗力」はその物体Aの「直下の水底」から供給されるものと考えられます。
とすれば、水中の水自体及び比重1の物体Aを最終的に「支えて」いるのは、その「直下の水底」ということになります。直下の水底とは、水底「全体」から見ると「局所」です。したがって水中の水及び比重1の物体に対する「水中鉛直抗力」は「局所性」を持ちます。
「水中鉛直抗力」は「局所性」を持ちますが、例えば水底のごく僅かな一部分が陥没したような場合には、すぐにその部分に周囲の水が移動・流入しその部分を水で満たすので、水面にはさしたる影響ができせん。しかし陥没が、数10km・数100kmともなると、その部分における鉛直抗力を一定失い、その真上の水全体が一定落下します。するとこの影響は「水面」へも及び、時には「津波」となって現象します。
このように水中鉛直抗力には「局所性」があります。
このことは水底において、その「水深」ごとにこれに照応した「水圧」があることからも分かります。
この「水深」ごとにこれと照応した水圧があるのは、水中鉛直抗力の「定常性」によるものです。この「定常性」の結果、「水底」の起伏がどのように「変化」しようとも、「水中鉛直抗力」もまたその「起伏」に応じたものとなります。
すなわち「水中鉛直抗力」の「定常性」により、水底に「起伏」がある場合、この起伏に応じて水底における水中鉛直抗力は「変動」します。
水深の深い水底、すなわちその真上に水の質量が多くある水底部分における水中鉛直抗力は相対的に大きくなります。逆に水深の浅い水底、すなわちその真上に水の質量が少なくある水底部分における水中鉛直抗力は相対的に小さくなります。すなわち水底における水深に「応じて」水中鉛直抗力は増減します。すなわち水底における「限定された部分」毎に、 すなわち「局所」毎に水中鉛直抗力の大きさは変化します。
このことを例えると、水中の物体Aにはその直下の水底から「1本」の「鉛直抗力線」が到達しています。しかしこの「1本」の線は「合力」としての「1本」の線であり、横押力を含む無数の力の相互の作用の合成の「結果」としての「合力」です。これは「引力」と同様です。引力もまた「真下」に引きつける力として感じられます。すなわち引力は地球の中心から地上の物体へと到達する「1本」の線として表現することができます。しかし実際には引力とは、地球のあらゆる部分から地上の物体へと到達している「無数」の引力線が「合成」され、「合力」となって、「1本」の引力線として、表現されるに到ったものです。
鉛直抗力もこれと類似しており、無数の力の「合力」として、「1本」の鉛直抗力線として表現されるに到ったものです。
(40)水中鉛直抗力の全般性について
さて以上のことからも、水中鉛直抗力は「局所性」を持つものと判断されます。
一言で言えば、「水中鉛直抗力は局所性を持つ」となります。
しかしこう言い切った直後に「同時に、水中鉛直抗力は全搬性を併せ持つ」と言えるのが水中鉛直抗力の面白いところです。局所性の真逆が全般性であり、全般性の真逆が局所性です。水中鉛直抗力は、この真逆の性質を「同時に」有します。
理由は簡単です。水中重力が「二重性」を持つからです。したがって水中鉛直抗力もまた「二重性」を持ちます。
ここで比重1の固体を水中に沈めていきます。すると「同時に」その水域の水が「排除」されていきます。排除された水は波として広がり、次第に厚みが薄くなりつつも「全般」に広がっていきます。
そしてこの水が「全般」に広がっていく中で、その広がった水を与える「鉛直抗力域」を拡大し「全般」化していきます。すなわち「水塊」の「移動・拡散」によってその拡散した水の鉛直抗力もまた「全般」化します。
その「拡散」を通じて、その水部分についての水中鉛直抗力は「均等」化していきます。
そしてその「均等化」していく水の各部分を支えるのは、その「真下」の釣直抗力であり水底なのです。他方、貫入する固体を支えるのも、その真下の水中鉛直抗力でありまたその真下の水底なのです。このように水中鉛直抗力は局所的であり「かつ」「全般的」なのです。
このことより次のことが言えます。もし人がマリアナ海溝の上でダイビングをしたら、その人を支えるのはマリアナ海溝の水底であると同時に、世界中の海底でもある、ということが言えます。より正確に言うならば、その人を支えているのはその真下のマリアナ海溝の海底であり、その人が排除した海水を支えるのは、世界中の海の海底である、と。
またこの水中重力及び水中鉛直抗力の「二重性」により、鯨の真下で泳ぐ人が「何故」押し潰されないのか、という「謎」を解明することもできます。鯨はこのとき水中に「静止」しているものとします。すなわち「静止浮力」の状態にあるものとします。
するとその時の鯨の実質的比重は「1」です。すなわちその「比重」が水と「同じ」 です。
したがってその鯨に生じる「水中重力慣性力」の大きさもまた水と「同じ」です。したがって、人の真上に鯨があったとしてもそこに生じる「水中重力慣性力」の大きさは水と「同じ」であり、かつその水域にあった水自体は、鯨によって「排除」されています。したがってここに鯨がいたとしても、「水中重力」の観点からは「水」があることと「同じ」です。
したがってこの人に、水が与えると同じ大きさの重量・水圧を与えるとしても、それ以上の重量・水圧を与えない、ということになります。
したがって水中では頭上の鯨によって押し潰されることはない、ということとなります。
(41)沈降浮力について
以上、「静止浮力」においては、「比重1」の物体を想定しました。すなわち「水」と同じ「比重」の物体を想定しました。
しかしこの「比重」が「水」より「大きく」なればどうなるか?例えば比重が「8」となるとどうなるでしょうか?
理科の実験によれば、物体Aは「沈降」していきます。そしてこの時先ほどの「アルキメデスの原理」により、物体Aが排除した水の重量分「軽く」なるとされています。
ここではここに生じている「浮力」を「沈降浮力」呼ぶこととします。
するとここで疑問となるのは、果たしてこの物体Aは「軽く」なったのか、ということです。もし「軽く」なったとすれば、「何故」軽くなったのか、ということです。ここで物体Aの質量を8kgとし、その比重を8とします。
そしてこの物体Aを細い「ひも」に付けて水中に垂らすと、この物体Aの「重量」は確かに7kgとなっています。確かに「1kg」「軽く」なっています。いや少なくとも「軽く」なったように「見え」ます。
しかし、物体Aがもし本当に「軽く」なったならば、「軽く」なった「1kg」はいったい「何処」に消えたのか、が問題となります。
8kgの重量が水に浸けただけで1kgが消失する、これは極めて奇妙なことです。
いわゆる「アルキメデスの原理」からは、これについての解答を得ることは出来ません。
この解答を得るには、「水中重力」についての、さらに深い分析が必要となります。
この問題に解答するためには、これまでの考察が活きてきます。
これまでの考察では、水中重力すなわち水中重力慣性力を生じるのは、水中鉛直抗力あるいは水中鉛直抗圧によるものであり、その水中鉛直抗力・水中鉛直抗圧は「定常性」を持つ、との結論でした。ここに問題を解く「鍵」があります。
水中鉛直抗力(抗圧)は、「定常性」を持ちます。ここでいうところの「水中鉛直抗力の定常性」とは、「水中鉛直抗力の大きさは水深によって定まり、かつ同一の水深において同一・一定である。」ということでした。
また「成分鉛直抗力」もまた「定常性」を持ちました。ここでいうところの「定常性」とは、「成分鉛直抗力は、いかなる水中においてもその位置によらず一定である。」ということでした。したがってこれを「成分鉛直抗力」の「位置定常性」と呼びました。
「成分鉛直抗力」のこの性質により、これによって物体Aに生じる「水中重量」もまた「位置定常性」を持ちました。
そしてその際、「成分鉛直抗力」について、「位置」定常性「以外」に「比重」定常性が在る、と述べました。そして、ここではその「比重定常性」につい考察.・分析を進めていくこととします。
(42)成分鉛直抗力の比重定常性について
「成分鉛直抗力」の「比重定常性」は、「水中鉛直抗力の定常性」そのものから導出されます。
成分鉛直抗力において、水中のその「位置」にかかわらずその「大きさ」が「一定」でした。すなわち水中においては、物体Aにおける「成分鉛直抗力」は「常に一定」なのです。 そして、この物体Aの「比重」が、「1」であろうと、「1を超える」ものであっても、「常に」一定なのです。「成分鉛直抗力」のこの性質の根源は「水中鉛直抗力の定常性」に起因しています。水中の物体に対する水中鉛直抗力の「大きさ」は、水深「のみ」によって定まります。逆に言えば、その物体Aの水中における「質量」・「比重」は、「水中鉛直抗力」にとつては「無関係」なのです。水中鉛直抗力自体が、物体Aの質量及び比重に「無関係」であるため、その「成分」鉛直抗力もまたその物体Aの「質量」及び「比重」に「無関係」なのです。
そして水中鉛直抗力・及び成分鉛直抗力のこの「定常性」がいわゆる「地上鉛直抗力」と決定的に異なる点であり、また水中重力が地上重力とはやや異なる独特なものとなる所以(ゆえん)でもあります。
以上により、「成分鉛直抗力」は、物体Aの「質量」」及び「比重」に「無関係」でした。
したがって「成分鉛直抗力」におけるこの性質を、「成分鉛直抗力」の「比重定常性」と呼ぶこととします。
さてそこで、「成分鉛直抗力」が「比重定常性」を持てば、どういうことになるでしょうか?
具体的に物体Aを比重8体積1000㎤の金属体と考えてみます。
ここで水1000㎤(1L(リットル))の質量はkgであるので、この物体Aの質量はその8倍の8kgである、ということになります。
ここで8kgの「質量」の物体に対する「引力」の強さは「8kg重」(8×9.8N(ニュートン)、1N=1kg・m/s2)となります。他方成分鉛直抗力の力の強さは1kg重となります。差引7kg重の力が、引力方向にすなわち下方に作用します。ここでニュートンの第2法則によりf=m×aです。したがってa=f÷mです。fは力、mは質量、aは加速度を表します。
ここで下方に作用する力は7kg重であり物体Aの質量は8kgです。また1kg重(1kgw)はここでは9.8N(ニュートン)です。また1N=1kg・m/s2 です。
したがって
a=7kgw÷8kg=(7×9.8N)÷8kg=(7×9.8kg・m/s2)÷8kg=(7÷8)×9.8m/s2となります。
ここで地球表面における「重力加速度」g(ジー)は9.8m/s2です。したがって地球引力の8分の7の力で、地球の中心へと引っ張られます。すなわち通常の落下加速度g(ジー)の8分の落下加速度で、水中を「落下」しようとします。
したがって見方を変えれば、重力加速度の8分の7は水中での「落下力」となり、残りの8分の1は水中鉛直抗力により落下力を制限されます。
そしてこの残り8分の1g(ジー)によって水中鉛直抗力が形成され、そしてこの水中鉛直抗力による加速度伝搬の遅延により「水中重力慣性力」が、すなわち「水中重力」が形成されます。
以上により、比重8、質量8kgの物体は水中において、「1kg」の「水中重力」を生じ、かつ地球の重力加速度g(ジー)の8分の7の加速度で、水中を落下(沈降)しようとします。
ここで比重8の物体が、重力加速度の8分の7の加速度で「沈降」しようとするのは、「水中鉛直抗力」によっては「引力」による「落下力」の8分の1しか「食い止められず」、その結果重力加速度g(ジー)の8分の7での落下(沈降)を許す結果となったものであり、他方、重力加速度g(ジー)の8分の1については「水中鉛直抗力」によって、その「落下」(沈降)を「食い止めた」結果によるものです。
すなわちこの場合、水中鉛直抗力は完全には重力加速度による物体の水中落下を食い止められなかったが一定その落下加速度を緩慢にした、ということができます。そしてこの場合、水中鉛直抗力は1kg重の水中鉛直抗力を物体Aに与えた結果物体Aに1kg重の水中重力が生じるに至ったものです。
以上により「沈降浮力」において、鉛直抗力の成分鉛直抗力が「上向きの力」すなわち「沈降浮力」を与えつつも、水中鉛直抗力により力を弱められたとはいえなお強い引力の力によって物体は「沈降」していきます。
(43)沈降運動と慣性抵抗・粘性抵抗について
しかしこの時物体が「沈降」を始めるとともに、その物体Aの「運動」そのものによって、「慣性抵抗」及び「粘性抵抗」が生じます。その結果、水中において物体は果てしなく「加速」していくのではなくて、物体の直径や質量に応じて「一定の速度」に収れんしていきます。
その結果、この「加速」が、「慣性抵抗」・「粘性抵抗」によって一定吸収されてしまい、この「沈降」の「本質」が水中での「落下」にあるという「本質」が見えにくくなってしまいます。
加えて、水中重力においては「比重」・「質量」によって、この「落下加速度」そのものも「変化」するので、「沈降」の「本質」が「落下」であるということがいっそう見えにくくなります。
この点を、「空中」における落下加速度と「水中」における落下加速度について、比較してみます。
ガリレオの実験に示されたとおり、空中で物体が「同時落下」する場合、「質量」の大きな物体も小さな物体も「同時」に着地します。
ただし「厳密」には「空気」による「慣性抵抗」・「粘性抵抗」を受けて結果は若干異なります。しかしもし「真空中」であれば、空気による「慣性抵抗」・「粘性抵抗」を受けないため、「同時」に着地します。とはいえ、金属球を短距離落下させる場合には、ほぼ「同時」に着地するものと考えて良いでしょう。
そしてその「空気中」において、質量が「異なる」物体が「同時に」着地するのは、その軽・重双方の物体に生じる落下加速度の大きさが「同じ」だからです。このように「空気中」では「質量」が「異なって」いたとしても、その「落下加速度」は「同じ」です。
しかし「水中」においてはこれと全く異なる状況となります。
すなわち「水中」においては、物体の「質量」・「比重」によって「落下加速度」が異なります。
水中における物体の「落下加速度」を決定するのは、沈降運動によって生じる「慣性抵抗」・「粘性抵抗」の影響を除けば、その物体の「比重」です。比重とは同一の体積の水の「質量」に対するその物体の「質量」です。その意味では「質量」もまた「落下加速度」の決定に関与しています。
しかし、「同一」の「比重」であれば、「質量」が「異なって」いても、その「落下加速度」は「同じ」となります。
この意味では、物体の「質量」が水中での「落下加速度」に関与するのは「限定的」とも言えます。
したがって、水中においてはその物体の水中落下加速度(沈降加速度)を根本的に決定するのはその物体の「比重」です。
例えば比重8、質量8kgの物体の水中落下加速度(沈降加速度)は、(7÷8)g(ジー)で、その物体の水中重力は(1÷8)×8kg=1kg重です。
また比重2、質量2kgの物体の水中落下加速度(沈降加速度)は(1÷2)g(ジー)で、その物体の水中重力は1kg重となります。
比重8、質量8kg、体積1L(リットル)の物体に生じる「引力」に対し、水が受け止めることができる力、すなわち「成分水中鉛直抗力」はこの場合は1kg重となり、残りの7kg重については、成分水中鉛直抗力では受け止めることができません。したがって残り7kg重の力が質量8kgの物体に作用する結果、その物体の水中落下加速度(沈降加速度)は、(7÷8)g(ジー)となるのです。すなわち通常の「重力加速度」の8分の7の加速度で水中落下して行くのです。
同様に比重2、質量2kg、体積1Lの物体に生じる「引力」に対し、水が受けとめることができる力、すなわち「成分水中鉛直抗力」は、この場合も1kg重となり、残りの1kg重については、成分水中鉛直抗力では受けとめることができません。したがって残り1kg重の力が、質量2kgの物体に作用する結果、その物体の水中落下加速度(沈降加速度)は、(1÷2)g(ジー)となるのです。すなわちこの場合通常の「重力加速度」の2分の1の加速度で水中落下して行くのです。
(44)水中落下直後における水中落下加速度
このように「比重>1」の物体は、その「比重に応じて」水中落下加速度が定まり、この水中落下加速度をもって水中に落下して行きます。
しかし実際にはこの「落下」運動そのものよって、落下運動開始後すぐに、「慣性抵抗」・「粘性抵抗」が生じ、この結果、物体Aは「当初」の「落下加速度」を「減少」させていきます。
しかし、「落下直後」のごく短時間の間は、「落下加速度」は生じていても「落下速度」はまだ微小です。したがってこの「微小時間」においてはその「慣性抵抗」・「粘性抵抗」もまたその速度に相応して「微小」です。したがって「落下直後」においては、物体Aはその「比重に応じた」落下加速度を保持しています。
このとき、この「落下」しようとする物体Aを上から「ひも」等で引っ張り「静止」させるとどうなるでしょうか?
例えば、比重8、質量8kg、体積1Lの物体を、水中で上から「ひも」等で引っ張り「静止」させるとどうなるでしょうか?
するとこの「ひも」には「力」が伝わります。そしてこの「力」は「ひも」を通して「手」にも伝わり、「手」はこれを「重み」として感じます。そしてこの「力」を理科実験用の筒型のばね式はかり(「直線目盛り」と呼ばれます。)で計測します。するとこのときはかりは、「7kg」を示します。
すなわちこの時物体Aには、水中重力1kg「以外」に、「新たに」「重力」が生じたのです。
この「重力」の「正体」は言うまでもありません。「地上重力」がそれなのです。そしてこの「地上重力」は、「地上鉛直抗力」が、手や「ひも」やはかりを通じて、物体Aに到達し、物体Aにおいて「新たに」「地上重力慣性力」が生じた結果にほかなりません。
以上により比重8、質量8kg、体積1Lの物体Aが、水中に吊るされ「静止」するとき、1kgの水中重量慣性力と、7kgの地上重力慣性力とが生じていることとなります。したがって1kgの水中重量慣性力と7kgの地上重力慣性力とを総合すると、計8kgの総重量慣性力が生じていることとなります。
ここであの偉大なアルキメデスの内心の声を代弁すると次のようになります。
アルキメデスは「地上重力」の立場から、「エウレカ(分かった)! 水中では物が軽くなる!」と叫びます。というのも通常は重力8kgの物体が水中では7kgになる、つまり「軽く」なるからです。
これに対して私は、「水中重量」の立場から次のように叫びます。
「エウレカ! 水中では物が重くなる!」と叫びます。というのは水中では「新たに」水中重力が1kg分生じるからです。
これを見ていた第3者は、「総重量」の立場から次のように叫びます。
「エウレカ! 水中では物が重くも軽くもならない!」と叫びます。というのは、地上重力において8kgであった物体を水中に入れると、地上重力は7kgとなるが、他方「新たに」水中重力が1kg生じ、地上重力7kg+水中重力1kg=8kgであり、総重量は8kgのままであり、総重量自体は重くも軽くもなっていないからです。
(45)水中重力生成の検証について
しかしここで水中重力が新たに1kg生じると言っても、一体「どのようにして」それを「確認」するのか?という疑問が生じます。
しかしこれは「百聞は一見にしかず」です。
ここに水10L入りのビーカーを載せ台のあるはかりの上に載せます。ここでビーカーの重さ自体は無視するか「風袋引き(ふうたいびき)」をします。するとそのはかりは「10kg」を示します。
ここで比重8、質量8kg、体積1Lの物体Aを静かに水に入れていきます。
すると何とこのはかりの示す目方(めかた)が次第に「増えて」行くのです。
そして物件Aが水中に完全に没しかつ静止すると、その時このはかりの目盛りは「11kg」を示します。すなわちはかりの値が10kgから11kgとなり、1kg分増大したのです。
逆にこの物体Aを水中から引き上げていくにつれて、はかりの目盛りは11kgから10kgへと近づいていき、物体Aが水中から完全に離れた時、はかりの値は元の10kgに復帰します。
このように「はかり」を使えば、「水中重力」の生成・消滅は「目に見える」ものとなり、かつその「水中重力」の「量」も正確に計測することができます。
水中への物体Aの出し入れによって、「水中重力」が生成・消滅する様は、一種神秘的な趣があります。
しかしここで注意すべきことは、はかりの値が10kgから11kgになったからといって、「水自体の重さ」が10kgから11kgになったのではありません。一見そう「見えます」が、水自体は終始「10kg」であり、水自体によって生じる「重量」については何ら変化がありません。しかし一見「水自体の重さ」が「増えた」ようにどうしても「見えて」しまいます。
このことにより、水中重力は、一見「神秘的」なものに見えてしまいます。この「増えた」1kgは、水ではなく「物体A」に「水中重力」が生じ、その生じた水中重力が「はかり」に伝わった結果、そのはかりの示す値が「10kg+1kg=11kg」となったものです。とは言え、物体Aを水中に出し入れすることによって、はかりの示す値が生き物のように増減する様には、やはり神秘的なものを感じてしまいます。
(46)水中における重力構成について
以上により、一般に「重力」といっても「地上重力」と「水中重力」とがあり、「水中重力」においても「水自体」に生じる「水中重力」と「物体A」に生じる「水中重力」とがあります。
したがってここで、重力一般における「重力構成」について検討を行なう必要があります。
そしてこの「重力構成」の分析のために、底面が平たく底面積が500㎠のビーカーを考えます。ここで考察の便宜のために、このビーカー自体には「質量」も「厚み」も無いものとします。そしてこのビーカーをテーブル上に置き、そのビーカー内に1 0L、1 0kgの水を注入します。そしてこの考察において、ここに注入された水は、終始溢れないものとします。
すると水底から水面までの高さは、10L÷500㎠=10000㎤÷500㎠=20cmとなります。
ここで比重8、質量8kg、体積1Lの物体Aをひもで吊るし、そのひもの先を天井に固定するものとします。
この状態においてここに生じる「重力」の「重力構成」を分析します。
まず物体Aが水中に「無い」状態での「重力構成」について考察します。
この状態では、ビーカーの底面が平面であるため、水底から水面までの「高さ」は一定であり、その高さは20cmです。したがってビーカーの底面の1㎠あたり、その上部には1㎠あたり1×20=20㎤の「体積」の水があります。ここで水1㎤の「質量」は「1g(グラム)」です。したがってこのビーカーの底面は、1㎠あたり20g(グラム)の水を支えています。
したがってビーカー全体では20g/㎠×500㎠=10000g=10kgの水を支えています。
ここに物体Aを吊るし、水中に「静止」させます。ここでこの物体Aの「体積」は「1L」です。したがってこの物体Aによって、その物体Aの位置から「1L」の水が排除され、このビーカー内全体に広がり、これに件ない水面の「水位」が上昇します。
ここでlLの水が底面500㎠のビーカー内に広がったのですから、その「水位上昇分」は、1L÷500㎠=1000㎤÷500㎠=2cmです。
したがって水底から水面まで高さは20cm+2cm=22cmとなります。
したがってこの水底においては、1㎠あたり1㎠×22cm=22㎤の体積の水の質量、「22g」を支えていることになります。
したがって、物体Aが存分する部分「以外」の部分については、ここに1㎠当たり22gの「水中重量」が生じていることが分かります。
他方、物体Aが存する部分において、この物体Aに生成する「水中重力」の大きさは、水と「同じ」です。したがってこの物体Aの水底における「水中重力」は、物体Aの「上部」の水の水中重力+物体Aに生じる水中重力+物体Aの「下部」の水の水中重力を、合算したものとなりますが、結局これは「水自体」に生じる水中重力と「同じ」となります。すなわち水底1㎠あたり「22g」となります。この為、水中に物体Aがあろうがなかろうが、これと「無関係」に、水底における「水中重力」は、水底の「どの部分」においても、一様に「1㎠あたり22g」となります。
以上、水底における水中重力の「重力構成」は、物体Aが無い部分においても「1㎠あたり22g」となり、物体Aがある部分においても「1㎠あたり22g」となります。
ここで物体Aを1辺10cmの「立方体」として想定しその底面が水面に平行にあるものとします。
するとこの物体Aに照応する水底の面積は10cm×10cm=100㎠となります。
ここでビーカーにおける水底面積全体は500㎠です。したがって物体Aが無い部分における水底面積は500㎠-100㎠=400㎠です。したがって、物体Aが無い部分における水自体の水底における水中重量は、400㎠×22g/㎠=8800g=8.8kgです。一方、物体Aがある部分に照応する水底面積は100㎠です。したがって物体Aがある部分における水底における水中重力は、100㎠×22g/㎠=2200g=2.2kgとなります。以上合計すると水底面積全体では8.8kg+2.2kg=1 1kgとなります。
他方、物体Aを「吊るした」天井からは、「地上鉛直抗力」が浸透して来ます。その結果、物体Aには「地上重力」も生じます。物体Aの比重は8、質量も8kg、体積は1Lですのでこれまで考察したように、この地上重力の大きさは「7kg」です。
したがって「静止状態」においては、この物体Aについての「重力構成」は、物体Aがない部分における水底においては1㎠あたり22gで計8.8kg、物体Aがある部分における水底においては1㎠あたり22gで計2.2kg、物体Aについての地上重力は7kgとなります。
そして以上すべてを合計すると、8.8kg+2.2kg+7kg=11kg(水中重力分)+7kg(地上重力分)=18kg=10kg(水の質量分)+8kg(物体Aの質量分)となります。
(47)水中落下と慣性力について
以上、「比重>1」の物体Aが、水中重力と地上重力を生じながら、水中に「静止」している状況を分析してきました
ここでは「比重>1」の物体を水中「静止」させる為には「水中鉛直抗力」だけではなく「地上鉛直抗力」も必要でした。そしてこの場合、「地上鉛直抗力」は「ひも」と「天井」を伝って浸透してきました。
ここでこの「ひも」を「切断」するとどうなるでしょうか、すなわち「地上鉛直抗力」の浸透を断ち切ったならばどうなるでしょうか?
すると当然その物体Aは「水中落下」して行きます。
そして「水中落下」後、ごく短時間は物体Aの「比重」に応じた落下加速度で水中を落下して行きます。
しかし前述のように、この落下「運動」そのものによって「慣性抵抗」と「粘性抵抗」とが生じ、物体Aの水中落下に対して抵抗を与えます。
水の「慣性抵抗」は水中落下する物体Aに対して「押す」抵抗を与え、「粘性抵抗」は物体Aに「引く」抵抗を与えます。その結果その「反作用」として.物体Aの「前面」の水部分はその場所から「押し出されて」いき、物体Aの後部の水部分は、物体Aに「引き込まれて」いきます。また物件Aが「水中落下」していくということは、その物体Aがその下を次々と「押し上げ」ていくことと同じです。
以上、「水中落下」していく物体Aは、落下して行きながらその回りの静止している水に、次々と「運動」を与えます。すなわち周囲の水を次々と「加速」し.そのことによってその「反作用」として自らは「減速」して行きます。
そして物体Aは、自らの「水中落下」しながら、その水中落下によって物体Aの周囲に次々と生じていく小水流の中を落下して行きます。
ここでここに生じる「水流」は水中落下していく物体Aの「周囲」に生じます。すなわち「局所」に生じます。したがってこの「水流」の影響は、「基本的」には水底までには到らないものと考えられます。しかし「部分的」には、この「水流」が、「水中重力」を一定「撹乱」することはあり得るものと考えられます。
そして物体Aの「水中落下」がその周囲の水に「運動」を与える結果、物体Aは「減速」します。そしてそのことは、「水中鉛直抗力」「以外」の力が、「上向き」に作用したことと「同じ」です。すなわち「上向き」に「新たな」加速度を得たことと同じです。したがってここに「新たな」「慣性力」が生じます。しかしこの「慣性力」は「水中鉛直抗力」によって生じたものではなく物体Aの水中落下そのものが、周囲の水自体に「運動」を与え、周囲の水を「加速」したことにより生じたものです。これは「機関車」が重い「貨車」牽引する時、その機関車の加速度が減少していくことと同じです。貨車が機関車の加速度を減少させるのと同様に、物体A水中落下によって生じる水の加速度運動そのものが、水中落下していく物体Aの落下加速度を「減少」します。すなわち「落下加速度」に対し「逆向き」の「加速度」を与えます。そしてこの「逆向き」の加速度によって、物体Aに「新たな」慣性力を生じます。そして物体Aにとつて、この「新たな」慣性力は、「重力慣性力」と「同様」な効果を生じます。しかしこの「新たな」慣性力は、「水中鉛直抗力」から生じたものではありません。
したがって、「重力慣性力」は「鉛直抗力」によって生じるという観点からは、ここに生じる「慣性力」は、「厳密」には「重力慣性力」ではありません。しかしながら、結果としてここに生じる「慣性力」は「重力慣性力」と同様な「効果」をもたらします。
したがってこの「慣性力」を「重力」に準じるものとして「準水中重力」と考えることもできます。
(48)水底浮力について
さてそうこうする内に、物体Aが水底へと近づき、そして「着地」しました。そしてこの「着地」をもって、「沈降浮力」の段階は終わり、「水底浮力」の段階へと到ります。
重力論の観点からは、「水底」とは「地上鉛直抗力」と「水中鉛直抗力」と接する「接点」です。この「水底」において、「地底」から発する「地上鉛直抗力」は「水中鉛直抗力」へと「転換」されます。「水中重力」は「水中」において生じます。しかし「水底」において、この「水自体」を支えているのは「地上重力」です。これは大海の海水であっても、コップの中の水であっても同様です。大海においても、コップにおいても、そこにある「水自体」を支えているのは「地上鉛直抗力」です。そして「水底」における「地上鉛直抗力」が水中へと浸透するなかで、「地上鉛直抗力」は「水中鉛直抗力」に転換・転化していきます。
したがつて「水底」へと達した物体Aは、「水底」から「直接」に「地上鉛直抗力」を得ることができる状態となります。しかし物体Aの形状等にもよりますが、物体Aは「同時」に「水中鉛直抗力」も得ることができる状態にあります。この結果、「水底」にある物体は、「一般的」には、「地上鉛直抗力」と「水中鉛直抗力」とを「同時」に得ることができる状態にあります。したがって「水底」にある物体Aには、「一般的」には、「地上重力」と「水中重力」とが「同時」に生じています。そしてその「地上重力」と「水中重力」とを合計した「総重力」自体には変化がないものの、「地上重力」と「水中重力」の「比率」は、物体Aの形状等によって異なり得るものと考えられます。
(49)浮力失効について
これまで見たように.「水中重力」は「水中鉛直抗力」によって生じます。そしてその「水中鉛直抗力」は物体Aの「側面」からは浸透しません。したがって物体Aを「下」から支えるためには、少なくとも「水」が物体Aの「下部」に存在していなければなりません。すなわち物体Aの底面に「水」が存在しなければ、そもそも「水中」鉛直抗力は成立しません。そしてまた物体Aの底面に、単に水が「存在」するだけでなく、その物体Aの周囲に存在する水の「横押力」によって、周囲の水自体が物体Aの下部に流入・移動できなければなりません。
したがって、「もし」水底において、物体Aの「底面」において「水」が存在せず、またたとえ水が存在しても、周囲からの水が流入・移動できなければ、水中鉛直抗力も水中重力も生成し得ないこととなります。そしてまた浮力も生成し得ないこととなります。何故ならば、「浮力」を形成するのは「成分水中鉛直抗力」です。しかし水中鉛直抗力が存在しなければ、その「成分」水中鉛直抗力もまた存在し得ないからです。
しかしそれではこの「水中鉛直抗力」が存在しない状況とはどんな状況でしょうか?
それは物体Aの下部に水が存在し得ない状況です。例えば板が水底に張り付いており、その下部に一滴の水も流入・移動できない場合のような状況です。
しかし「通常」は、このような状況は存在し得ません。水はあらゆる「隙間」に流入・移動してくるからです。そして一旦水が流入・移動して来れば、次々と水が流入・移動し、結局その板の下に水が「在る」状況となるからです。
しかし物体の底面に「水」が存在しなければ、「理論上」、水中鉛直抗力が生ぜず、したがって「浮力」もまた生じません。しかしこのことを実際上「どのように」確認すれば良いかが課題となります。
ここで「比重>1」の物体では、「浮力」があっても「沈降」するので、外観上「浮力」が有るのか無いのかが分かりません。
しかし比重が1より小さい物体ならば、水中を上昇していくので、「浮力」の有無を単純に把握することができます。
そこで「比重<1」の物体が水底にある状況を想定することとします。
後に、「比重<1」の物体における「上昇浮力」について分析をしますが、ここではまず「比重<1」の物体には「上昇浮力」が生じ水中を上昇していくものである、ということを前提としています。
(50)浮力失効の検証について
しかし「水底」とは言え、「水中」において、「浮力」が生じないという状態がそもそも「存在」するのでしょうか?
水中で「浮力」が生じない、というのは「常識」から離れますし、「アルキメデスの原理」からしても成り立ちません。「浮力」が生じない状態、すなわち「浮力失効」について、そもそもこれまで聞いたことも考えたこともありません。
「水中重力」についてのこれまでの「推論」は、明確に「浮力失効」の存在を示しています。しかしこれまでの常識と物理学は、これを否定しています。
どこか何かの「見落とし」があり「推論」が間違っているのか、それともこれまでの「常識」・「物理学」が間違っているのか、これを「実験」で確認するしか方法がありません。
このため、クリアファイルとコップを使います。コップは透明でかつ、水中を入れた際に水底が平面となるものが良いです。そしてクリアファイルをコップに入る程度の大きさに四角く切り取ります。
そしてそのファイル片をコップの底に置き、箸で抑えながら「やかん」で水を注いで行きます。水を充分に注いだならば、その後ゆっくりと箸を離して行きます。すると何とそのファイル片が「浮上」して来ません。そのファイル片は「水底」に貼り付いたままです。ちなみに、ファイル片が水底に貼り付いていない状態では、そのファイル片は「瞬時」に「浮上」して来ます。
しかしファイル片が水底に「貼り付いた」状態では、10秒、20秒、30秒経っても「浮上」して来ません。「浮力失効」が生じたのです。そして50妙を経過するころ、ようやくファイル片の一片が持ち上がり、その後急速に「浮上」して来ました。貼り付いていたファイル片の「下部」に周囲の水が流入して来たのです。これにより「浮力」が生じたのです。
以上により、「浮力失効」が存在すること、そしてまた物体Aの「下部」に周囲の水が流入・移動することによって、「浮力」自体が生成すること、が確認されました。
ここで「浮力消滅」と言わず「浮力失効」と表現するのは、この実験にもあるとおり、「浮力失効」が一般的には「限定的」なものだからです。まずこの実験でも2分以上「浮力失効」が続くことはありません。でした。またファイル片の「一部」がまず持ち上がった場合において、「その部分」においてはすでに「浮力失効」の状態ではなく、「その部分」においては「浮力」が生じていました。すなわち物体Aに対し、1部分は浮力失効の状態にあり、残りの部分については浮力成生の状態にありました。
すなわち「一つの物体」について、「同時に」浮力失効と浮力生成とが生じる場合がありえます。小さい物体だとこのとは分かりづらいですが、「大きな物体」では、この浮力失効と浮力生成の「同時性」は顕著になるものと思われます。
以上のように「一般的」には、「浮力失効」が、時間的にも物体的にも「限定的」であるために、あえて「浮力消滅」とまでは表現できず、「浮力失効」と表現する次第です。
とは言っても広大な物理世界には、この「浮力失効」が相当期間継続する場合もあるでしょう。その場合には「浮力消滅」あるいは「浮力喪失」と表現としても良いでしょう。
さて以上により「浮力失効」が「現実」に存在することが確認されました。同時に「一部浮力失効」や「一部浮力生成」も確認できました。そしてこのことを「重力論」の観点からは、「浮力失効」とは、物体Aの「全部」に「地上重力」が生成している状態であり、「一部浮力失効・一部浮力生成の状態とは、地上重力と水中重力とが「混合」している状態、いわば「混合重力」の状態であり、物体が水底を離れて浮上していく状態は、水中重力のみ、の状態である、ということができます。
(51)日常生活と浮力失効
さてここで、「浮力失効」が現実に存在することが確認され、「その目」で日常生活を確認すると、現実世界は「浮力失効」であふれていることが、改めて良く分かりました。「現実」と「常識」と違う、のです。
まず「空気」や「水蒸気」の「泡」です。
「空気」は「比重<1」であり、水中で「空気」は「泡」を形成します。そこでこの「泡」について観察します。水中で「泡」は大小ありますが、その大きさは概ね一定の範囲内にあります。そしてその泡を横から観察すると、大別して球形と、半球形のものがあることがわかります。また泡には浮上のものと、水底にあるものとがあります。水より相当比重の小さな「空気」が「何故」「水底」にあるのでしょうか?
「水蒸気」も同様です。「やかん」でお湯を沸かすと「沸騰」してきます。そして「水蒸気」の「泡」が上昇してきます。しかしそのような「泡」ばかりではないのです。相当程度の「泡」が水底でぐらぐらしながらも貼り付いています。これは「何故」でしょうか?
確かに「分子間引力」も一定作用しているでしょう。しかしそれだけの力で、「強い浮力」に打ち勝つことができるものとは考えにくいです。「やもり」の足には無数の繊毛が生えています。この「無数」の繊毛によって、「やもり」は「弱い」分子間引力」は、「強い力」に変えているのです。しかし「泡」にはそのような「無数」の繊毛はありません。むしろつるつるというべき表面です。したがってここに作用する「分子間引力」は比較的「弱い」と考えられます。
したがって一般に「泡」が水底に存在し得るのは、一般に「泡」は水底において「半球状」をなし、結果その「泡の底」には水自体が充分には存在できず、その結果水中鉛直抗力が生成できず、したがって「成分鉛直抗力」すなわち「浮力」もまた生じていない、すなわち「浮力失効」の状態にあるものと考えられます。
また昔、「五右衛門風呂」というものありました。
鉄の釜に水を入れて、下から薪を燃やして湯を沸かすのです。
したがってその釜の底は当然「熱い」です。
このため木製の「落とし蓋」を落として、足の下に敷いて鉄釜からの熱を遮断します。ここで「落とし蓋」は木製で、通常ならば水に浮きます。しかしこの「落とし蓋」は、一旦底に沈めるとなかなか浮き上がってこないのです。おかげでゆっくりと身体をあらえます。しかし木製の蓋がなかなか浮き上がって来ないのは不思議なことでした。今にして、「浮力失効」が生じていたのだと思いあたります。
(52)浮力失効とメタンハイドレート
この「浮力失効」はさらに大規模にも生じています。
メタンハイドレートというものがあります。メタンハイドレートは、メタンガスが低温とと高水圧の下で「氷状」となったものです。したがってこのメタンハイドレートは「燃える氷」とも呼ばれています。そしてこのメタンハイドレートの比重は、約0.9で水に浮きます。
したがって本来水底なり海底に存在するはずが無いのです。しかし実際には海底に広範に存在します。日本の近海はこのメタンハイドレートの宝庫です。海底に存在するはずの「無い」メタンハイドレートが「何故」広範に、かつ長期間「存在」するのでしょうか? これは「浮力失効」が大規模に生じた結果だと考えられます。
日本近海では赤道近くから見れば比較的「寒冷」です。そのためメタンハイドレートは容易には気化せず「燃える氷」の状態であり続けるでしょう。しかしより暑い気候の海域においては海流の変化等により、一部このメタンハイドレートが気化し、その結果メタンハイドレートの一部が海底から剥離し、その結果これに隣接する部分が剥離し、・・・と次々と連鎖的に剥離していくことが想定されます。するとこの時、「浮力失効」の封印が解除され、海底に巨大な「浮力」が生じ、海底のメタンハイドレートが急速に浮上しつつ、水温・水圧の変化とともに巨大な「泡」となりつつ海面へと向かうでしょう。そして海面へ達するや否や巨大な泡により、水自体が自己浮力を失い海面が陥没し、その海面上の船舶もまた一瞬にして「浮力」を失うでしょう。また海底から膨張しつつ急速に浮上し吹き上げてくるメタンガスによって、その海上は「大嵐」となるでしょう。
晴天の日に、海上に突如現れる嵐は「白い嵐」と呼ばれています。そしてこの「白い嵐」の正体がメタンハイドレートであろうとされていますが、充分に納得できる話しです。
(53)混合重力について
さて再び「水底」へと戻ります。
物体Aの比重が「比重<1」の場合は、「浮力失効」と浮力の生成あるいは復活が明縮に目に「見える」ものとなりました。
これに対して「比重>1」の物体の場合、この「浮力失効」はなかなか目には見えません。
しかし、比重8、質量8kg、体積1Lの物体が水底に「静止」する場合、その物体には8kgの「総重力」が生じているはずです。そしてその物体が「完全」に水底に張り付き、「完全」に「浮力失効」の状態であるならば、そこに生じる水中鉛直抗力は0であり、水中重力もまた0kgであり、そしてまた「浮力」も0となります。これに対して、地上重力は8kgとなります。
しかし物体Aが「完全」には水底に張り付かない場合、「総重力」が8kgであっても「水中重力」と「地上重力」との「比率」は一概に決めることはできず、それぞれの物体の形態や態様次第である、ということになります。
例えば死んで海底に横たわる鯨において、一部には水中重力が生じ、残る一部には地上重力が生じているものと考えられます。すなわち「混合重力」の状態にあるものと考えられます。
ここで「水底」における重力について、今少し補足的な考察を行ないます。
水深1000mの水底において比重8、質量8kg、体積1L、1辺10cmの立方体である物体Aが、他の物体Bに及ぼす影響です。まず物体Bが水底にあるとします。そこに物体Aが沈降して来てそのBの上に載るとします。するともしAに水中重力が働いているとしたら、この時Aに生じる地上重力は7kgです。この7kgが物体Bにのしかかります。水中重力1kgは物体Bに影響を与えません。しかしもしここで仮に物体Aについて浮力失効が生じたならば、物体Aに生じる地上重力は8kgとなって、8kgの重みが物体Bにのし掛かります。
しかしこれは水底1000mでのことです。そして面積10cm×10cm=100㎠あたり、水深10cm(0.1m)ごとに1㎏の重みが生じます。
その結果その結果水深1000mでは1000m÷0.1m×1kg=10000kg=10tの重みが物体Aに掛かっていますそしてこの重みが物体Aを通じて物体Bにも掛かります。すると物体Aが物体Bにのし掛かることにより、物体Bにも10tの水の重み+7kgあるいは8kgの物体Aの重みが加わります。結果、この10t以上もの重みで、物体Bが「押し潰される」ことは無いか、との疑問が生じます。
結論は、この10tの力で「押し潰される」ことは無い、ということになります。
というのは、物体Aが物体Bにのし掛かる「前」に、すでに物体Bには10tの水の重みが掛かっており、物体Bはすでにこれに「耐えて」いたからです。従って物体Bに物体Aがのし掛かったとしても、物体Bに「新たに」荷重されるのは、物体A自体に生じる7kgあるいは8kgの重力「のみ」であることになります。
(54)空気中における浮力失効について
以上により、水中における「浮力失効」について分析を行ないました。ここで水中において「浮力失効」が生じるならば、一定の条件においては「空気中」においても「浮力失効」が生じると考えられます。
ブロックゲージはそのことを示唆しています。ブロックゲージとは「長さ計」の一種で、長方体の金属でできています。そしてその表面は高度に磨かれており、また酸化を防ぐため「油」等が塗布されています。このような状態のため、このブロックゲージ同士がくっ付くと、容易に離れてない場合があります。「浮力失効」と同様な現象が生じたのです。すなわちこのブロックゲージとブロックゲージとの間の「隙間」に「空気」が入り込む余地が無いのです。これは「浮力失効」重要な要件を満たしています。
したがって一定の条件においては、空気中でも「浮力失効」が生じ得るものと考えられます。ここで、質量の「精密測定」においては、空気中における物体の「浮力」を勘案した「浮力補正」をする場合があります。しかし仮に「浮力失効」が生じるならば、この「浮力補正」において、「浮力失効」の影響をも加味する必要が生じる場合もあるかと思います。
(55)浮力失効によって生じる力について
ここでこのブロックゲージに生じる「吸着力」は、「マグデブルグの半球」における吸着力と類似していますが、違いもあります。
「マグデブルグの半球」は中が「空洞」であり、その空洞内の気圧(ほぼ真空)と外気との間に「気圧差」がありました。しかしこのブロックゲージにはそもそも「空洞」が無く、したがって「圧力差」もブロックゲージ間にはありません。ブロックゲージの場合は、「油」の作用によって、ブロックゲージ間に「新たな」空気が流入できないことにより、「吸着力」が生じているものです。
一見同じようですが、その「破壊力」において決定的な「違い」があります。
マグデブルグの半球の原理を利用した「ドラム缶」の実験があります。
空のドラム缶に水を少し入れて、下から熱して水蒸気を発生させます。そして充分に水蒸気を発生させた後に蓋をします。
すると冷めると同時に、ドラム缶内の気圧が下がり、外気の大気圧との「差」で、ドラム缶が「破壊」されます。
ブロックゲージの場合はこれと異なります。ブロックゲージ間には、ドラム缶のような「空洞」がありません。たとえいくらかの「空洞」があったとしても、その「気圧」は外気である大気圧と「同じ」です。したがって、「静止」した状態では「気圧差」も生じません。
したがって強力な「破壊力」も生じません。ただし、無理に引き剥がそうと「外力」を加えた場合には、一瞬「強い」吸着力が生じることはあり得ます。
このブロックゲージの吸着力も「浮力失効」も、二つの物体間に「隙間」がなく、かつその二つの物体の間に「流体」が流入・移動できないことにより生じます。
したがってブロックゲージにおける吸着力も浮力失効も、その「根」は同じであるとみなすことができます。
ここでブロックゲージに生じる「吸着力」は「破壊的」なものでは無く、その力は「限定的」です。同様に「浮力失効」の影響も「破壊的」では無く、「限定的」なものとなります。
これは空気中ではあっても水中であっても同様となります。例え水深1000mの水底においても、「浮力失効」によって物体が、「破壊」されることはまずありません。蓋をした中空の空缶が水圧で「破壊」されるのとは状況がことなるものと考えられます。
(56)上昇浮力について
さてここで「水底」を離れて「水面」へと「浮上」していくこととします。「比重<1」の物体が水底を離れ、「水面」へと「浮上」していきます。この時生じる「浮力」を「上昇浮力」と呼びこととします。そして次にはこの「上昇浮力」の分析へと進むこととします。
思うにこの水中重力論分析の困難さは、その「現象形態」の多様さにあります。水中重力の「本質」は「水中鉛直抗力」であり、「浮力」の「本質」は「成分水中鉛直抗力」にあります。しかしその「本質」の「現れ方」が、物体の「比重」を軸として相当程度異なります。
沈降浮力と上昇浮力のように、外見上全く「逆」の現象形態をとる場合もあります。
「本質」は同じであってもその「態様」は様々である、ここに水中重力分析の困難さがあります。また水中重力においては、多くの「仮象」が現れます。この「仮象」の底にある「本質」を見失わないことが重要です。
このことを踏まえて、「上昇浮力」の分析に取り掛かりたいと思います。
「比重<1」の物体は、水中で「なぜ」上昇(浮上)するのか、これが問題です。ここに水中鉛直抗力の「特殊性」が顕著に現れています。
それではこの水中鉛直抗力の「特殊性」とは何か、それは「水中鉛直抗力」が「定常性」を持つということです。水中鉛直抗力の「定常性」とは、水中鉛直抗力の大きさは水深によってのみ「定まる」という「定常性」です。より正確に言うと「水中鉛直抗力」は「水深」に「比例」する、ということです。この水中鉛直抗力の「定常性」から「成分水中鉛直抗力」の「定常性」が導出されます。
「成分水中鉛直抗力」の「定常性」とは、水深のいかんに関わらず、その物体に生じる「成分水中鉛直抗力」は「一定」であるという「定常性」です。何故ならば水深aと水深bとがあり、その差a-b=cとします。ここで物体の水深が+hになるとします。するとa→a+h、b→b+hと、水深a、b自体は変化しますが、(a+h)-(b+h)=(a-b)+(h-h)=a-b=cとなります。
すなわち物体A自体の「水深」がいかに変化しいとも、その「水深の差」自体は変化しないため、「成分水中鉛直抗力」は、「常に一定」となります。
ここで比重0.6、質量0.6kg、体積1L、1辺10cmの立方体である物体Aを考えます。
するとこの「成分水中鉛直抗力」の「定常性」より、この物体Aの「底面」に生じる「成分水中鉛直抗力」は、常に1kg重です。これに対して物体Aの質量は0.6kgです。
ここで1kg重(1kgw)とは、重力加速度の下で質量1kgの物体に働く力をN(ニュートン)で表わすと9.80665Nですが、便宜9.8Nとします。また1N=1kg・m/s2です。したがって1kgw=9.8N=9.8kg・m/s2です。
したがって、1kgwの成分鉛直抗力は比重0.6、質量0.6kgの物体Aに対し、「上向き」に9.8N=9.8kg・m/s2の力を与えます。この力によって物体Aは「加速」しますが、ニュートンの第2公式によりf =m×aです。したがってa=f÷mです。そしてこの式に上記の数値を代入します。するとa=9.8[kg・m/s2]÷0.6[kg]=16.33[m/s2]の「加速度」が生じます。そしてこの「加速度」により「慣性力」が生じます。そして一般に「慣性力」は、その「大きさ」は「加速力」に等しく、その「向き」は「加速力」の「逆向き」です。したがってそこには16.33[m/s2]×0.6[kg]=9.8[N]=1[kgw]の力が.「下向き」に生じます。
そしてこの「慣性力」は、成分水中「鉛直抗力」によって生じたものです。
したがってこの時生じる「慣性力」は、「重力慣性力」であり、「水中」重力慣性力です。すなわち「水中重力」です。
これをまとめると、比重0.6、質量0.6kgの物体Aは、「成分水中鉛直抗力」により、加速度16.33m/s2で「上昇」(浮上)しようとし、その時その「加速」によって「質量0.6kg」の物体Aに「1kgw」の水中重力が生じる、となります。
なんと、比重0.6、質量0.6kgの物体は、水中で「軽く」なるどころか0.4kgも「重く」なるのです。
しかし「人問の目」には、「軽く」なるから「上昇する」と「見える」のです。 実際は、その「逆」です。「成分水中鉛直抗力」により物体Aが上向きに「加速」され、その「加速」の結果、「重く」なるのです。
ここにも水中重力における「仮象」が生じていますが、単なる「錯覚」ではないため、人間の目にはどうしてもそのように「見えて」しまうのです。
これは一見不可解な現象のように思われます。
しかしこれと同様な現象は私たちも日常不断に「体験」しているのです。
上昇する飛行機の中で、また上昇し始めたエレベーターの中で、同様な現象が生じます。
上昇し始めたエレベーターの中では一瞬身体が「重く」なったと感じます。エレベーターが「加速」したのです。水中重力における「重力増加」も、同様な現象です。
(57)等速上昇運動における水中浮力について
さてエレベーターは加速し、その後次第に定速となって行きます。それとともに、重力増加状態から通常の重力状態へと、すなわち1g(ジー)の状態へと、復帰して行きます。
水中重力も同様です。無限に加速していくことはできません。水中で物体が「運動に」するとき、その「運動」によって「慣性抵抗」や「粘性抵抗」が生じます。そしてその「抵抗」は物体Aの周囲の「水」が与えます。そしてその周囲の水はその抵抗を与えることによって、自らも次々と運動に入って行きます。そして物体Aはこの周囲の水に次々と運動を与えることによって、物体Aの加速度は低下して行き、やがて「等速度」へと収れんして行きます。これとともに、比重0.6、質量0.6kgの物体Aの水中重力も「等速上昇運動」をしながら、そこに生じる水中鉛直抗力によって生じる「上昇加速度」は16.33m/sから9.8m/sに減少・収れんしていきます。この結果物体Aは、「水中鉛直抗力」からは9.8m/s2の「上昇加速度」を得、他方「引力」からも9.8m/s2の「落下加速度」を得ながらも「等速上昇運動」を持続しながら「上昇」(浮上)していきます。この「上昇加速度」の減少・収れんに伴い、そこに生じる「重力」もまた、1.0㎏から0.6㎏へと減少・収れんしていきます。
すなわち1g(ジー)の状態となります。
これは「上昇加速度」運動から「等速運動」になったエレベーター内において、「重力増加」の状態から通常の1g(ジー)の重力に復帰するのと、同様です。この状態において、そこに生じる「水中重力」の値は0.6㎏となりこれは「静止浮力」における「水中重力」0.6㎏と「同じ」値となります。なぜならば、「慣性力」を生じるのは「加速度」であって「速度」ではないからです。したがって、「静止」する物体同様、「等速運動」する物体においても、「等速運動」そのものからは「慣性力」は生じません。しかし「静止」する物体にも「等速運動」する物体にも、そこに「引力」と「鉛直抗力」とが同時に作用しているならば、その「鉛直抗力」から「重力」すなわち「重力慣性力」は生じます。
したがって「等速上昇運動」を続ける物体Aにおいて、「等速上昇運動」をしながらもそこに生じる「重力」は1.0㎏ではなく0.6㎏へと収れんしていきます。
(58)上昇浮力の計算について
しかし物体Aが、「静止状態」から「運動状態」に移行した「直後」には、「上昇速度」がまだほとんど生じていません。したがってこの「上昇速度」に応じた「慣性抵抗」・「粘性抵抗」もまたほとんど生じていません。したがってこの物体Aが静止状態から運動状態に移行した「直後」の「微小時間」における物体Aの「上昇加速度」は、16.33m/s2のままであると考えられます。
しかしこの物体は成分水中鉛直抗力によって加速度16.33m/s2で「上に」加速される一方、「引力」によって、加速度9.8m/s2で「下に」加速されています。
その結果、差し引き16.33m/s2-9.8m/s2=6.53m/s2の加速度で物体Aは実質的に「上昇」して行こうとします。
ここで補足的に成分水中鉛直抗力の加速度と引力による重力加速度(引力加速度)との違いを説明します。
成分水中鉛直抗力、一般に「鉛直抗力」は、「物体中」をクーロン力が伝搬していくことによって伝搬していく「物体的力」です。これに対して「引力」は「空間中」を引力が伝搬していく「空間的力」です。
ここで「慣性力」は「加速度伝搬の遅延」によって生じません。
そして「物体中」を伝搬する「物体的力」においては、この「加速度伝搬の遅延」が生じます。
しかし「空間中」を伝搬する「空間的力」においては、この「加速度伝搬の遅延」は生じません。
したがって、「物体的力」である「成分水中鉛直抗力」と「空間的力」である「引力」とが、「同時」に作用した場合、「成分水中鉛直抗力」にのみ重力(水中重力慣性力)が生じ、「引力」による「重力加速度」(引力加速度)によっては、重力(重力慣性力)は生じません。
他方、「加速」という点では「成分水中鉛直抗力」も「重力加速度」(引力加速度)も変わりがありません。したがって「成分水中鉛直抗力」と「重力加速度」(引力加速度)との間で、足し算あるいは引算をすることが可能です。
さてその「引算」の結果、比重0.6、質量0.6kgの物体Aは加速度6.53m/s2で「上昇」しようとします。
ここで「上昇」しようとする物体Aを「静止」させるためには、物体Aの「上から」物体Aに同じく加速度6.53m/s2を与える必要があります。
ここで質量0.6kgの物体Aに対して6.53m/s2の加速度を与えるためには、ニュートンの第2公式より、f=m×a、すなわちf=0.6[kg]×6.53[m/s2]=3.918[kg・m/s2]=3.918[kg・m/s2]÷9.8[m/s2]=0.4kg、すなわち0.4kg(0.4kgw)分の力を加える必要があります。
したがって比重0.6、質量0.6kgの物体Aを水中に「静止」させるためには、物体Aに対して、「上から」「0.4kg」に相当する力を加える必要があります。
そして人間の手がこの物体Aの浮上を押さえて「静止」させるとき、人間の手はその「浮力」を、肌で感じることとなります。またこの力を計測すると「0.4㎏w」の力となります。
(59)水上浮力について
さて比重0.6、質量0.6kgの物体Aは、「上昇浮力」を得て、水中を上昇して行きます。そこで遂に「水面」へと到達します。
この「水面」」への到達をもって「上昇浮力」の段階は終わり、「水上浮力」を生じつつ「静止」へと到ります。「水上浮力」といっても完全に水の上あるのではなく、物体Aの「一部」は水中にあります。
そして「水上浮力」における特徴的現象は、「沈降力」と「上昇力」とが自動的に「均衡」し、「静止状態」へと到ることです。すなわち「水上浮力」においては、「均衡浮力」の状態にあります。
ここで比重0.6、質量0.6kg、体積1Lの物体Aが、1辺10cmの立体体であるものとします。
するとこの物体Aに働く引力は、f=9.8[m/s2]×0.6[kg]=5.88kg・m/s2です。引力はこれだけの力で物体Aを水中に押し込めようとします。
これに対して「水面」では物体Aの底面から水面までの「水深」が絶えず変わり得ます。したがってここに生じる「水中鉛直抗力」の値は絶えず変わり得ます。ここで水深が10cmの場合、ここに生じる水中鉛直抗力は10cm×10cm×10cm=1L(リットル)の水の重さが1kgであるため、水深10cmにおける水中鉛直抗力の大きさは1kgwです。したがって水深2cmでは、そこに生じる水中鉛直抗力は0.2kgwであり、0.6kgwの引力の大きさに対抗できません。したがってこの時物体Aは水中に向かって「落下」(沈降)します。
これに対して、物体Aの底面の水深が8cmの場合、ここに生じる水中鉛直抗力は0.8kgwとなり、水中鉛直抗力0.8kgw>引力0.6kgw となり、物体Aは「上昇」(浮上)します。
そしてここで、物体Aの底面の水深が0.6cmの場合、ここに生じる水中鉛直抗力は0.6kgwとなります。したがって水中鉛直抗力0.6kgw=引力0.6kgwとなって、水中鉛直抗力と引力とが自動「均衡」し、物体Aは水面に「静止」し、「水上浮力」が完成します。
一般に「船」はこの「水上浮力」によって自動均衡し、水上に浮かびます。
そしてこの「船上」のテーブルには、遠く「水底」を離れて再び「地上重力」が復活します。そしてそのテーブル上の中の「コップ」の水中には、水中重力が生じます。
かくして、地上重力は水中重力と深く繋がり、「総重力」の世界を形づくります。
以上をもちまして「水中重力論」を終わります。そしてこの水中重力論の終了を以て、「重力」の「本質」とその多様な「現象形態」に係る「重力総論」を終了します。
(60)おわりに
重力の分析は、「宇宙」また「空間」についての、大きな示唆と新たな謎を与えてくれます。例えば「引力」です。
地上重力と水中重力との双方の分析を通じて、重力と引力とは互いに関連しあいながらも「別の力」であることが明確となりました。そして
「重力」とは「慣性力」であり、重力以外にも慣性力が存在し、様々な「慣性力」あるには「慣性力」に疑似類似した力が存在するが、「慣性力」の「本質」は「加速度伝搬の遅延」にあることが明らかとなりました。
さてここで「重力」が「慣性力」であることは分かりました。しからば「引力」とは何か、これについてはまだ解明にいません。「重力」については一定の知見を得ましたが、一方の「引力」についてはまだ「謎」のままです。
「引力とは空間の歪みだ」との説があります。しかしこの「空間の歪み」とはそもそも「何か」が分かりません。そしてこの「空間の歪み」によって光が曲がると言われても、プリズムやレンズによる「光の曲がり」とどう違うのか、素朴な疑問が生じます。
そしてそもそも「空間の歪み」が何故「力」を生じるのかが全く分かりません。
光と時間との関係についても疑問が生じます。
一般には、真空において「光速度」は「不変」であり、そのため「時間の方が伸び縮みする」との考え方があります。確かに「時間」も「伸び縮み」するかも知れません。しかし「光速度が一定」だから「時間の方が伸び縮みする」というのは、どうも釈然としません。
というのは宇宙の中で、「光」の速度は、宇宙の「広大さ」に比べて比較にならないほど「遅い」からです。「近くの」恒星に行くだけで何万年もかかるほど「遅い」のです。そのように「遅い」光が、「時間」をも支配するとするのは、全く釈然としません。
また「引力」も実に「弱い」力なのです。
例えブラックホールの引力が「光」をものみこむほど「強力」だとしても、それでも「電磁力」に比べれば比較にならないほど「弱い」力なのです。これはわずかな数グラムの磁石が、これに比して圧倒的な大きさ・質量を持つ地球の引力に打ち勝って、鉄をテーブルから吸い上げてしまうことからも分かります。何故引力がかくも「弱い」のか、これも多くの物理学者が「謎」としているところです。
このように「謎」が「謎」を呼びますが、試行錯誤を経て、自分なりにその「謎」に挑んでみたいと思います。と言っても何らかの「手がかり」あるいは「仮説」が必要であり、「仮説」を措定し「仮説検証」をする形で考察・分析を進めて行くのが良いかと思います。
そこでその「仮説」として「真空粒子論」を採用したく思います。「真空粒子論」では、「真空」は単なる「無」ではなく、そこでは絶えず無数の「真空粒子」が生成・消滅しており、この「真空粒子」が諸般の物理現象・物理法則を生成・発現させている、とされています。
これが「正しい」かどうかは分かりません。
しかしこれを一応「正しい」として措定し、矛盾がなければそのまま進み、矛盾が生じれば、修正または廃棄で進んで行きたいと思います。
以上、重力論の分析・考察を経て「真空論」の分析・考察に進みたく思います。