※ この原稿は、2017年1月30日(月)に私がGooブログに掲載したものを、加筆補正したものです。)
重力とは何か?
重力とは何か?(1)〔用語について〕
この小論の中で、「重力とは何か?」について、私の考えを一歩ずつ明らかにして行きたいと思います。ここで私が明らかにしたいことは「重力についての枝葉」ではなくて、「重力の本質」です。
これまで多くの科学者が、「重力」について語りまた計算をしてきました。そしてそれは、「実務上」「実用上」は、深い内容があり大いに有効なものです。そして私はこれらの科学者を大いに尊敬致します。
しかし私の知る限り、「重力の本質」について、洞察し解明されたものは見当たりません。私はこの小論において、「重力の本質」を解明したく思います。
「重力の本質」を解明するにあたり、いくつかの「重要ポイント」があります。
その一つが、まずは「言葉」の問題です。「重力」という言葉とともに「引力」という言葉があります。ちなみに、「引力」とは言葉通り「引き付ける力」です。しかしこの小論において「引力」とは、原則として「万有引力」の意味として使用いたします。
さて「重力」と「引力」という言葉ですが、一般にはこの両者は、しばしば「同じ意味」に使われております。それは日本語だけではなく、英語においても同様で、「Gravity(重力)」と「Universal gravitation(引力)」とが、しばしば同じ意味として使われております。
つまり「重力と引力とが混同」されているのです。
「重力の本質」の解明に際して、「最初の困難」となるものが、この「重力と引力との混同」あるいは、「重力と引力との同一視」です。
したがって、「重力の本質」を解明するためには、「重力」という言葉と、「引力」という言葉とを、明確に区別して使うことが必要となります。
重力とは何か?(2)〔重力と引力〕
さて、「重力」という言葉と「引力」という言葉とを明確にするとして、次の疑問が湧くと思います。
「それでは重力と引力とは本当に違うものなのか?」、「重力と引力とが違うとしても、一体どのように違うのか?」などといった疑問です。
結論から先に言っておきます。「重力」と「引力」とは、互いに「力」として作用します。どちらも「力」ではありますが、その「内容」は「正反対」の面があります。
さて「それでは重力と引力とは本当に違うものなのか?」についてです。
「重力」と「引力」とは、様々な意味で「違い」ます。
その端的な例が「自由落下」です。
ここで、「落下するエレベーター」を考えてみます。
エレベーターが「落下」するのは、地球の「引力」が作用するからです。つまりエレベーターにとって、地球の「引力」が「有る」から「落下」するのです。
しかしその落下するエレベーター内はどうでしょうか?
落下するエレベーター内は「無重力」となっています。つまり落下するエレベーター内には「重力」が「無い」状態です。
これ一つを取ってみても、「重力」は「引力」とは異なる、「別の」力であることは、明白ではないでしょうか。
しかしこれに対して、エレベーター内が「無重力」となるのは、エレベーターが引力によって加速し、その結果反対方向に「慣性力」生じ、その引力と慣性力とが打ち消し合う結果、「無重力」となるとする考え方があります。
この考え方によると、重力も引力も互いに区別する必要のないものとなります。この考え方によると、重力=引力であり、これに対抗するものとして「慣性力」があることになります。
この見解は、かなり一般的に広まっている見解です。私にはこの考え方にはかなりの「無理」があると思います。
この考え方によれば加速する電車の中においても、その加速と反対方向に「慣性力」を生じ、その加速度と慣性力とが「打ち消し合う」こととなってしまいます。
これでは、加速する電車の中では、たとえ「慣性力」が生じたとしても、それは「力」としては発現しなくなってしまいます。つまりは、加速する電車の中では、「慣性力」は無いのも同然となってしまいます。これは、あまりに「現実感覚」から外れた結論では無いでしょうか?
何故こういう結論になってしまうのか?それは、ここに「慣性力」についての重大な「誤解」があるからです。それで、次には「慣性力」について、述べたいと思います。
重力とは何か?(3)〔慣性と慣性力について〕
「重力の本質」を解明するにあたり、「第2の困難」となるものが、「慣性力」についての「誤解」です。
したがって、「重力の本質」を解明するためには、「それに先立って」、「慣性力の本質」を解明しなければなりません。
「慣性力」についても、多くの科学者が語りまた計算をしてきました。
そしてこれもまた、「実務上」「実用上」は、深い内容があり大いに有効なものです。私はこれらの科学者に大いに感謝致します。
しかし私の知る限り、「慣性力の本質」についても、洞察し解明されたものは見当たりません。私はこの小論において、「重力の本質」の解明に先立ち、「慣性力の本質」について明確にしたく思います
少し長くなりますが、よろしくお願い致します。
「慣性力」について考察するに際し、物体は一般に「慣性」を持つことを前提とします。
それでは「慣性」とは何か?ウィキペディアを引用すると、「慣性とは、ある物体が外力を受けないとき、その物体の運動状態は慣性系に対して変わらないという性質を表す。」こととなります。
ちなみに「慣性」には多面的な側面があり、その研究だけでも結構奥深いのですが、ここでは「慣性」の持つ代表的な性質を4点あげておきます。
一般に慣性を持つ物体は、
① 静止している状態において、外力を加えない限り静止し続ける。
② 外力を加えると、「慣性力」を生じる。
③ その後、外力を断つと、物体は「等速直線運動」を行う。
④ その物体を再び静止させようとする際には、「逆向きの慣性力」(減速力とでも呼ぶべきか)を生じる。
以上「慣性」の持つ4つの代表的な性質のうち、ここでは第②の性質について着目し、解明を行うこととします。
重力とは何か?(4)〔慣性の慣性力への転化について〕
一般に「慣性力」とは、「みかけの力」とされています。慣性力を「計算上の力」としているものさえあります。これでは「慣性力」があたかも「実在」しないが、あると考えると便利で計算が可能となる、「幽霊」のような力であることとなります。
「慣性力」を「見かけの力」とする一般の見解、ここに最大の「誤解」があります。「慣性力」は決して「見かけの力」ではなく、その「存在根拠」を持つ「実在」の力です。
この小論では、この「慣性力生成のメカニズム」の解明とともに、「慣性力」が「何故」「見かけの力」に「見える」のかについても解明を行います。
ここで図1のように、加速度aの物体Bで引っ張られている質量mの物体Aがあるとします。またこの加速度は一定の「等加速度」であるとします。すると物体Bの加速度がaであるので、物体A全体の加速度もまたaであるはずです。(※ 簡略のため、m/s2等の「計量単位」は一応省略します。)
(図1)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
したがって、物体Aの各部分の加速度も図2のようになっているはずです。
(図2)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
ここで、図3のように各部分に名称を付けます。
(図3)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
以上により、全ての部分が「同じ加速度a」であるため、「同じ時刻において」、P1、P2、P3、P4、P5の各部分は、一見「同じ速度」であるかのように「見えます」。ここに最大の「落とし穴」があります。
しかし考えても見てください。物体Aには「慣性」があるのです。したがって、部分P1にもP2、P3、P4、P5にも「慣性」があるのです。そのため物体Bに引っ張られて、物体Aの部分P1が時刻t1において速度v1になったとしても、物体Aの部分P2は「まだ」速度v1には到っていないのです。
ここが「最大のポイント」です。
かくして、部分P1の速度をv1、部分P2の速度をv2、以下同様とすれば、v1>v2>v3>v4>v5となるのです。
これを図にすれば、図4のようになります。
(図4)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
ここで一つ疑問が生じます。「部分P1、P2、P3、P4、P5の速度が、それぞれv1、v2、v3、v4、v5なのに、それぞれの加速度が同じaだというのは、何か変ではないか?」との疑問です。
しかし、次の図5を見て頂ければ、P1、P2、P3、P4、P5の「加速度」が同じであっても、P1、P2、P3、P4、P5の「速度」は「異なる」ことがご理解頂けると思います。
(図5)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
この図において、時刻t1におけるP1、P2、P3、P4、P5の「加速度」(速度勾配)は、同じですが、その「速度」は、それぞれv1、v2、v3、v4、v5と互いに異なっています。
つまり物体Aの「内部」において、「加速度」(速度勾配)が生じているのです。この結果、「同一時刻」で見ると、物体Aの「先端部分」P1の速度が最も速く、「末端部分」P5の速度が最も遅いことが分かります。
このように、時刻t1の時点において、部分P1の速度がv1であっても、部分P2の速度はまだそれより小さいv2なのです。このため、足の速い人が足の遅い人を引っ張りながら歩くのと同様な現象が生じます。すなわち速度の遅い部分から、速度の速い部分に対し、「引っ張るような力」が生じます。何故ならば、速度v1で進むのと、それより遅い速度v2で進むのとでは、同じΔt(秒)の間に進む「進む距離」が異なるからです。
そしてこれと同じことがP2とP3、P3とP4、そしてP4とP5との間にも生じます。
ここで部分P1、P2、P3、P4、P5の各「部分」に生じる「引っ張るような力」を「部分慣性力」ΔIとします。そしてP1、P2、P3、P4、P5における「慣性力」(Inertial force)をそれぞれ、I1、I2、I3、I4、I5とします。
すると、部分P5に生じた部分慣性力はΔIなので、P5における慣性力I5=ΔIです。
しかし部分P4は、自分自身に生じた部分慣性力部分「に加えて」、P5に生じた部分慣性力ΔIをも「引継ぎ」ます。その結果I4=ΔI+I5=ΔI+ΔI=2ΔI となります。
以下同じようにして順次計算していくと、結局先端部分P5における慣性力I5=I4+ΔI=I3+2ΔI=I2+3ΔI=I1+4ΔI=5ΔI となります。
今、「分析の都合上」、物体Aを5つの部分に分けて考察しましたが、実際の物体Aはさらに無数の各「部分」に分けることができます。そしてこの無数の各部分に生じた「部分慣性力」ΔIが、集積し累積したものが先端部分Pに凝縮し、物体Aの慣性力として現象してくるのです。
したがって、先端部分の慣性力をI(P)とし、物体Aの慣性力をI(A)とすると、I(P)=I(A) となります。これを言い換えると、I(A)=I(P) となります。
すなわち、物体Aの慣性力I(A)は、物体Aの「先端部分での慣性力」I(P)によって決定され、言い尽くされ、代表されます。
これにより、「万有引力」と「慣性力」の力の「違い」についても、さらに明確になりました。
万有引力は、物体Aの「重心」に作用するとされます。したがって万有引力との関係において、物体Aの「質量」を「代表」するものはその物体の「重心」です。
しかし「慣性力」と「質量」との関係において、物体Aの質量を「代表」するものは、その物体の「重心」「ではなく」、その物体の「先端」、つまり「外力」が物体Aに最初に作用するまさにその「作用点」なのです。
さて、物体Aが物体Bにより加速度aにより加速され、その結果その加速度が物体Aに浸透し物体Aを加速していくが、物体A内部の「慣性」により、物体Aの内部に「加速度伝搬の遅延」が生じ、これによって各部分に生じたところの部分慣性力が累積し、最終的には、その物体の「先端部分」に凝縮した「慣性力」が、その「物体の慣性力」となります。このことをやや「哲学」風に言えば、物体Bによる「加速」の結果、物体Aの「慣性」が「慣性力」に「転化した」ということができます。
重力とは何か?(5)〔慣性力の大きさについて〕
以上のように、物体Bにより加速度aで加速されている物体Aについて、その物体Aの「末端」へと、その物体Aにおける「加速度伝搬の遅れ」により、「速度の遅れ」が順次凝縮していきます。他方、同じ「加速度伝搬の遅れ」により、物体Aの「先端部分」へと、その物体Aの「慣性力」が順次凝縮していきます。
このことを踏まえて、加速度aで加速する質量mの物体Aにおける、「慣性力の大きさ」を分析していきたいと思います。
まず物体Aの「先端部分」を「P点」、「末端部分」を「Q点」とします。そして、時間の経過とともに変化するP点とQ点の速度を図示すると、図5のようになります。また時刻t1において速度v(1)であったQ点が、「加速」によってv(2)になるまでの時間をΔtとし、t1+Δt=t2とします。さらにP点の速度をPvとし、Q点の速度をQvとします。
すると、Δtの意味するものは、時刻t1においてPvが速度v(2)であり、Qvが速度v(1)であったところ、そのQvの速度が速度v(2)になるまでに要した時間、すなわち「加速度伝搬の遅延時間」を示していることとなります。
そして、P点の加速度は(v(3)-v(2))÷Δt=Δv÷Δt=aであり、Q点の加速度は(v(2)-v(1))÷Δt=Δv÷Δt=aとなります。したがって、P点の加速度(速度勾配)も、Q点の加速度(速度勾配)も、「同じ」aとなります。
(図6)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
ここで図5に少し手を加えると、図6のようになります。
(図7)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
ここで分かることは、時刻t2の時点を例に取ると、当初P点に与えられた加速度が、物体Aの内部を通過する内に順次「減速」されていき、結果「遅延時間」Δtの間にQ点は v(2)―v(1)=-Δv だけ「減速」されるということです。
したがって、この物体Aの内部に生じる「内部加速度」は、(-v)÷Δt となりますが、ここで加速度a=Δv÷Δtなので、この物体Aの内部に生じる「内部加速度」は (-Δv)÷Δ=-(Δv÷Δt)=-aとなります。
ここでまず明確になることは、「質量mの大きさ」に「関わりなく」、外部からの加速度aに対する内部加速度は(-a)となります。
ここで考察を明確にするために、物体Aを質量mの「等質」な物体であるとします。
そしてその物体Aを、無数の各部分の集合体と考え、その各部分にΔm(1)、Δm(2)、Δm(3)・・・Δ(n)と名前を付けます。
するとm=Δm(1)+Δm(2)+Δm(3)+・・・・+Δm(n)となるはずです。
ここで先ほど考察したように、その各部分のΔmのそれぞれに、(-a)の加速度が働いています。したがってその各部分に、それぞれ(-a)×Δm=ΔIの力(部分慣性力)が働いているはずです。これの部分慣性力に、それぞれI(1)、I(2)、I(3)・・・I(n)と名前を付けます。そしてそれらの部分慣性力ΔIが、「足し合わせた」ものが、先端部分Pでの慣性力I(P)となり、それがその物体A自体との慣性力I(A)となります。
したがって、 I(A)=I(P)=I(1)+I(2)+I(3)+・・・+I(n)=(-a)×m(1)+(-a)×m(2)+(-a)×m(3)+・・・+(-a)×m(n)=(-a)×(m(1)+m(2)+m(3)+・・・+m(n))=(-a)×m となります。 したがって、等加速度aで加速する物体Aに働く慣性力I(A)は(-a)×m ということになります。
重力とは何か?(6)〔外的加速度と内的加速度〕
ここまで来て「質量」と「慣性力」との関係が明らかとなってきました。
さてそれでは「質量」とは一体何でしょうか?
現代物理学では、E=mc2であり、質量とエネルギーとは同一とされています。また計量実務では、「質量」と「重量」とは異なる概念であり、「はかり」は「重量計」ではなく「質量計」であるとされています。
しかし、「重力」の考察において「質量」とは、取りあえず「慣性の量」すなわち「慣性量」と考えておけばよいでしょう。
質量が、慣性量である、あるいは慣性量の側面があるからこそ、慣性力I=m×(―a) となることができます。
しかしここで一つの疑問が生じます。
それは、「物体Bが質量mの物体Aを加速度aで加速する。他方慣性力も質量mの物体Aを(-a)で加速(減速)する。するとa+(-a)=0なので、物体Aは、動かないのではないか。」といった疑問です。そして、こうした当然の疑問が生じるからこそ、「慣性力」はますます「見かけの力」であるかのように「見える」のです。
ここで生じる困難は次のようなものです。
すなわち「質量mの物体Aは、加速しつつ減速している。」という困難です。
この問題を解決するために、少しばかり「概念」を整理することとします。すると次のようになります。
物体Bの「外力」が、物体Aを加速しています。その結果質量mの物体Aにおいて、P点もQ点もともに、加速度aで加速しています。これは「外力」による「加速」であるから、この加速度を「外的加速度」と呼ぶこととします。他方任意の時刻tにおけるP点からQ点までの間において、P点におけるその速度と「比較」して、物体Aの「内部の」速度は、順次減少していきます。このために物体Aの内部に一種の「加速度」(減速度)が生じるが、これは物体Aの「内部」における「加速度」(減速度)ですから、この加速度(減速度)-aを、「内的加速度」と呼ぶこととします。
このように整理すれば、「質量mの物体Aは、「外的加速度」で「加速」しつつ、「内的加速度」において「減速」している。」ということになります。
さてこの状態は、高速道路上をP車とQ車とが、ともに加速しながら走っているが、P車に比べてQ車が減速しているため、いつまで経ってもQ車はP車に追いつけない、そういった状況に例えることができます。
こう考えると「加速しながら減速している」といった状況を、ご理解いただけるかと思います。
重力とは何か?(7)〔質量と末端速度との関係について〕
さて、これまで「質量」を単にmとだけ表現してきました。
しかし一般に物体にはそれぞれの質量があります。
そこで加速度aで加速度する物体Aの質量mが0の場合、1の場合、2の場合について分析を進めていきたいと思います。ただし物体には一般に質量がありますから、質量0の物体はおそらく無いと思います。したがって、ここで質量が「0」という場合には、「限りなく0に近い」という風にとらえておいてください。
まずP点の速度をPvとします。そして物体Aの質量がm=0の場合のQ点の速度をQv(0)、m=1の場合のQ点の速度をQv(1)、m=2の場合のQ点の速度をQv(2)としておきます。 すると次の図8のようになります。
(図8)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
ここで、t2~t3の間について注目してください。
このΔtの時間において、物体Aの質量mが0(あるいは限りなく0に近い)場合、Pvに対してQv(0)は「減速」していません。これに対して、物体Aの質量が1の場合には、「加速度伝搬の遅延」により、Qv(1)は、Qv(0)に対してΔvだけ「減速」しています。そしてQv(2)はQv(1)に対して「2倍」の質量がある場合を想定しています。ここで2=1+1ですから、Qv(2)の場合は、質量1によって「減速」された上に、さらに新たな質量1(合計質量1+1=2)によって「減速」されます。
その結果、Qv(2)は、Qv(0)に対して、Δv+Δv=2Δvだけ「減速」されます。
このことは一体何を意味しているのでしょうか?
それは物体Aの「末端速度」Qvが、物体Aの「質量に比例して」「変化する」ことを示しています。そしてこのことは、後ほど「質量の計測」において、大きな意味を持ってきます。
重力とは何か?(8)〔物体の性状と末端速度について〕
以上、物体の「質量」とその「物体」との間には、深い関係があることが分かりました。しかし「慣性力」を考察する際に、「質量」以外にも重要な要素があります。
それはその物体の「性状」(性質・状態)です。
例えば、物体Aが極端に「柔らかい」とします。
すると、その「先端」が加速していっても、その「加速度伝搬の遅延」があまりに大きく、なかなかその「末端」まで加速度が伝搬していきません。
他方、物体Aが固ければ、その物体の加速度はすぐに末端へと到達します。
また、一般に物体が耐えうる加速度にはその限界があり、その限界を超えると破砕されてしまいます。
そしてたとえ破砕されてなくても、限界を超えると「復元力」を失い、元の状態には復元しなくなります。このように「復元力」を喪失した状況においては、「慣性力の本質」を精密に分析することはできません。
したがって「慣性力の本質」について分析する際には、その「復元力」の「有る」物体について分析することとします。そして「復元力」の「無い」物体の慣性力については、慣性力の本質を分析した後で、必要に応じて「補正」すればよいこととなります。
すると、「復元力の有る物体」については次のようになります。
今そうした物体Aが、物体Bにより加速度aで加速していくとします。
そうするとその物体Aの「末端速度」が物体Aの「先端速度」に対して「遅延」する結果、物体Aの内部に「伸びの力」が生じます、つまり物体Aは「変形」しようとします。このように、物体Aの内部に「伸びの力」が生じますが、この物体には「復元力」があるため、この「復元力」により「縮みの力」も「同時に」作用します。
この復元力の結果、加速度aで加速する物体Aの「末端速度」は、だらだらと遅延し続けることができません。そしてこの「復元力」により、物体Aにおける「末端速度」は、この「伸びる力」と「縮む力」とが「均衡」する速度に「収れん」します。
そして、この「末端速度」がどの大きさとなるかは、その物体の「質量」とともに、その物体の「性状」により定まります。例えば「バネ」は大きな伸縮力と共に復元力を有します。このため、「鋼鉄のかたまり」に比べ、「バネ」については、PQ間により大きさ「速度差」を生じます。
重力とは何か?(9)〔慣性力の大きさの測定について〕
物体Bが(例えば人間の「手」が)、物体Aを加速度aで「加速」しようとします。するとその加速度aが物体Aの内部に浸透し、物体Aを加速していく際に、「加速度伝搬の遅延」により、物体Aの内部に順次速度差が生じ、その結果物体Aに慣性力が生じ、その慣性力が人間の手に伝わって、人間の手は「慣性力」を感じます。すなわち人間の「手」が、その物体の慣性力を、ある程度「測定」します。しかし人間の「手」は、慣性力の「大きさ」を見るには不正確なものです。それでは、もっと正確に慣性力の「大きさ」を「見る」(測定する)方法はないでしょうか?
それが有りました。それが先ほどの「ばね」を使う方法です。
「フックの法則」により、ばねの「伸び縮み」はある程度「加える力」に「比例」します。したがって「ばね」を使うと、慣性力の大きさがある程度「見える」(測定することができる)はずです。
そこで、「手」と物体Aとの間に「ばね」を入れて、物体Aを見てみます。すると物体Aの質量に比例して、ばねの「伸び」の大きさが変化することが、ある程度分かります。
しかし、正確には測定できません。何故ならば、人間の「手」を「等加速度」aで加速することは、物体Aからの「反作用」もあり、「不可能」だからです。
また、人間の「手」と「ばね」と物体Aとを、等加速度aで動かせたとしても、それらが「運動」しているために、その「ばね」の「伸び具合」を測定すること自体が困難だからでもあります。
それでは慣性力の「大きさ」を精密に測定するのに、さらにもっと良い方法は無いでしょうか?
それが有ります。物体Bを「等加速度」aで加速する「電車」に置き換え、その電車Bの「中で」、物体Aの慣性力の大きさを測定する方法です。
等加速度aで加速する電車Bの中で、物体Aの慣性力を測定する「利点」は何か。
① それは、「電車」であるため、ある程度の範囲で「等加速度」で加速することができるからです。
② また、物体Aに対し電車Bの自体の質量が相当程度大きいため、物体Aによる電車Bへの「反作用」の影響をほとんど考慮しなくて済むからです。
③ 最後に、これが最大の理由ですが、「観測者」が電車の「中」で観測するため、電車も、ばねも、物体Aも、そして観測者自身も等加速度aで加速されています。その結果、観測者にとって、等加速度aの影響を体に「感じ」ても、目には「見えなく」なります。つまり「外的加速度」と「内的加速度」とが、「混在」して見えていた状態から、測定上、「外的加速度」の影響が除去されて、「内的加速度」の影響のみが抽出される結果となります。このため「内的加速度」の影響が、したがって「慣性力」の「大きさ」が、「容易に」測定できるようになります。
重力とは何か?(10)〔電車の中での慣性力の計測〕
ここでまた疑問が生じます。「テーブル」の上で、物体Aを物体Bにより等加速度a
により加速する場合に生じる「慣性力」と、等加速度aで加速する「電車」B内に生じる「加速度」とは、本質的に「同じ」ものなのか?
本質的に「同じ」ものです。
ちなみに加速する物体Bとこれによって牽引される物体Aとを、「箱」で覆って見て、箱ごと加速度aで加速していく状態を想像してください。すると、電車Bにより、その中の物体Aが加速されているのと同様な状態になることが分かります。
ただし、一点だけ「違い」が生じます。繰り返しになりますが、「観測者」の「視点」が違います。観測者が「テーブルの上」での加速運動を観測している場合には、観測者は物体Bと物体Aとが、ともに加速していく状況を「外から」から観測します。したがってこの場合、物体Bと物体Aの「外的加速度」は比較的明瞭に観測されますが、物体Bの内部での「内的加速度」の観察は不明瞭となります。
これに比して、物体B(電車)の中では、観測者が物体B(電車)や物体Aと「共に」加速していくため、物体Bと物体Aの「外的加速度」は観測されなくなります(体に「感じ」はしますが)。他方その結果「内的加速度」のみが抽出されるため、「内的加速度」の変化は、明確に観測できることとなります。
ここで図9のように、加速度aで加速していく電車Bの中で、「バネ」に牽引された物体Aがあるとします。
(図9)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
そして電車Bに対して、物体Aと電車Bとの間に「バネ」が入ることによって、電車Bに対して物体Aとバネとは「一体」となって加速します。これによって、これまで物体Aの「先端」であった地位を、バネの先端P´が担うこととなります。
ここでバネは物体Aに比して、「伸縮」に優れているため、バネは物体Aの微細な伸縮運動を「大幅に増幅・拡大」することとなります。
すなわちこの「バネ」は、微細で観測しづらい物体Aの「伸縮」を「増幅・拡大」し、「観測可能」な形に変換するとともに、物体Aの「伸縮」を「代理・代表」するものとなります。
重力とは何か?(11)〔慣性力の大きさの長さへの変換〕
ここで物体Aの質量と、バネの「長さ」との関係を図示すると、図10のようになります。
(図10)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
この図は、質量m=0の場合、質量m=1の場合、質量m=2の場合と3とおりの場合における、「バネの伸びの長さ」を示しています。
ここで、物体Aを牽引しない(物体Aの荷重が0)の場合の「バネの長さ」を「L」とします。また電車Bが等加速度aで、バネと物体とを加速しているとします。
図にあるとおり、電車が同じ加速度aで加速している場合、物体Aの質量mがm=0であれば、バネは伸びません。バネの長さはL+0=L のままです。
しかし、物体Aの質量mがm=1の場合、バネは若干伸びます。
この「伸び」をΔLとします。するとバネの長さはL+ΔL となります。
次に、物体Aの質量mがm=2の場合、バネの長さはL+2ΔL となります。
ただし、「観測者」には等加速度aで加速していることは「見えません」。
しかしこのような状態であっても、バネに質量m=1を負荷した際には、バネがΔLだけ「伸びた」ことが観測されます。
まず物体Aの質量m=1の場合ついて考えて見ます。
するとこの「伸び」が生じる理由は、質量m=1の「慣性」により、「物体A+バネ」において「加速度伝搬の遅延」が生じ、同一時刻において、バネの先端P′と物体Aの末端Qとのとの間に、速度差Δvが生じるからです。
この結果、Δtの間にP´点が速度vで進むとし、その際に進む距離をL(P´)とし、同じくΔtの間にQ点が進む距離をL(Q)とすると、L(P′)=Δt×v、L(Q)=Δt×(v-Δv)となりますが、このL(P′)とL(Q)との距離の差が、ΔLとなる訳です。
したがって ΔL=L(P′)-L(Q)=(Δt×v)-(Δt×(v-Δv))=Δt×(v-(v-Δv))=Δt×Δv ゆえに ΔL=Δt×Δv となります。
同様にして、物体Aの質量mが2の場合は、物体Aは2Δv減少し、その結果バネは「2ΔL」だけ「伸長」します。
このようにして、物体の「質量の大きさの違い」を、バネの「長さ」の「変化」で表すことができます。
すなわち加速する電車の中で、「バネ」に生じる「長さの変化」は、バネが牽引する物体の「質量」に比例します。
重力とは何か?(12)〔質量の基準について〕
以上により、加速度aで加速する電車内で、バネを利用することにより、その物体の「質量」の大きさの「違い」の測定が可能となりました。
しかし、「質量の大きさ」という場合には、どうしても「基準」となる「質量の大きさ」を定めることが必要です。「基準」となる質量の大きさがあって初めて、その「基準」と「比較」して、「どれくらいの大きさ」ということができるのです。
だが、「基準」の取り方は無数にあります。したがって、この「基準となる質量の大きさ」は、「人為的」かつ「社会的」に定めるほかはないのです。
現在の「質量」の「大きさ」の「基準」は、「1㎏(キログラム」」です。
そしてその「1㎏」とは、もともとは「水」1L(リットル)の「質量」であったのです。そして1L(リットル)とは、10㎝×10㎝×10㎝の「体積」なのです。
ところで10㎝とは、1mの10分の1のことですが、「1m」とは、もともとは「地球」1周分のその4千万分の1の「長さ」であったのです。
このように「㎏」や「m」を使用した「メートル法」は、このように、もともとは「水」や「地球」を「基準」としていました。
これは、「自由・平等・博愛」そして「普遍的なもの」を基準としようとする、フランス革命の精神と近代合理主義思想の表れだと思われます。
なお、現在ではこの「1㎏」の「基準」の役割は、フランスにある「国際キログラム原器」が担っています。
「1m」の「基準」は、現在では「光の速度」を使用した定義がその役割を担っています。
※ 余談ですが、将来的にはこの「1㎏」の「基準」としては、「アボガドロ定数」を使用した定義によるものになると思われます。
さて「1㎏」の「基準」は定まりましたが、残念なことにその「基準」はフランスにあり、私たちに使えません。これでは困るので、この「国際キログラム原器」を元にしながらも、「国際キログラム原器」と同じように「質量の基準」としての役割を果たすものを、別途作成する必要があります。これを「基準分銅」などと呼んでいます。
したがって、この小論において「1㎏」と呼ぶときは、その「1㎏」の「基準分銅」の「質量」を表すこととします。
さてそのように「質量」の「基準」を定めたことにより、ようやく「質量の大きさ」をメートル法を用いて、すなわち「㎏」の単位で、表現し測定することできるようになりました。
重力とは何か?(13)〔慣性質量について〕
さて、加速度aで加速する電車と、「バネ」と、「1㎏」の「基準分銅」とを用いて、いよいよ物体Aの「質量」を、正確に測定することができるようになりました。
その方法は次のとおりです。まず加速度aで加速する電車の中で、先ほどの図9のように、まずバネの先に「1㎏」の「基準分銅」を牽引させてみます。そしてその時のバネの「長さの変化」を記録しておきます。仮にその時の「バネ」の「長さの変化」が「10㎝」であったとします。
次にその「基準分銅」に替わって、質量不明の物体Aをバネに牽引させてみます。そしてその時、仮にそのバネの長さがの変化が「20㎝」であったとします。
ここで「バネ」の「長さの変化」は、バネが牽引する物体の「質量」に比例します。
したがって、物体Aの質量m=1kg ×(20㎝÷10㎝)=1㎏×2=2㎏
したがって、この物体Aの質量が2㎏であると、正確に測定することができました。
このようにして、等加速度aで加速する電車と、質量に応じて変化する「バネ」の「長さ」の変化と、「基準となる分銅」を利用して、物体Aの「質量」を「㎏」の単位で正確に測定することができるようになったのです。
「質量を測定することができるようになった。」、この文章を読んでお気づきに成られたかも知れません。ここには「重力」が「全く関与していない」のです。
「重力」なしに、物体の「質量」を「測定する」。一体そんなことが可能なのか?
「可能」です。これまでのこの小論で長々と述べてきたその「全て」が、実はその事の「証明」でもあった訳です。
「重力」を利用せず、物体の「慣性力」のみを利用して測定された質量を「慣性質量」と呼びます。
そこで新たに、「重力」とは、「重量」とは、「重さ」とはいったい何なのか、また「慣性質量」と「重力質量」との間には、いったいどんな関係があるのだろうか、などといった「疑問」が生じてきます。
これらの疑問に対して、逐次分析を進めて行きたいと思います。
さていよいよ「慣性力」の分析を概ね終えて、「重力」の分析へと進んで行きます。
重力とは何か?(14)〔加速度の種類について〕
この小論において、これまで「物体Bによる」加速という表現が繰り返し出てきました。全く無駄な表現だと思われた方も多いと思います。しかしこれにはそうせざるを得ない深い理由があるのです。
何故ならば、「物体によらない」加速もあるからです。
その端的な例が、「万有引力」による「加速」です。
「重力」の分析においては、「物体」による「加速」と「万有引力」による「加速」とを「峻別」することが是非とも必要なのです。
何故ならば、物体による「加速」と、万有引力による「加速」とでは、「言葉」は同じでも、その「内容」は全く異なるからです。
例えば、万有引力による「加速力」は、「空間」を伝って作用します。
これに対して、物体による「加速力」は、その物体自体を通じて作用します。
このように、万有引力による「加速」と、物体による「加速」とでは、その「加速」の内容が大きく異なるのです。
さらに「電磁気力」による「加速」があります。電磁気力は、空間を通じても作用します。その点で電磁気力は万有引力にも似ています。
また電磁気力は、物体を通じても作用します。また物体による加速においては、その物体内部の電子の「反発力」が、大きな役割を果たしています。
したがって、電磁気力における加速においては、「物体による加速」と概念が一部「重複」する点があります。
そういう状況の下で、「重力」の「本質」の分析において、電磁気力を考慮することは、事態を複雑にするだけであるため、「重力」の「本質」の分析においては電磁気力を考慮の対象外とすることとします。
また同様の理由により、原子核内部における各種の力も考慮の対象外とします。
電磁気力や原子核内部の力が、「重力」に何らかの影響を及ぼすとしたら、「重力」の「本質」の分析を終えた「後に」、別途必要に応じて「補正」を行えば良いものと考えます。
したがって、この小論において「重力」の「本質」の分析において考慮する「加速度」は、「物体」による「加速度」と、「万有引力」による「加速度」との、二種の加速度のみに「限定」することとします。
そして分析を明確に進めて行くために、「物体による加速」を「物的加速」、万有引力による加速を「引力加速」と呼ぶこととします。
重力とは何か?(15)〔引力加速と慣性力〕
引力加速には、物的加速とは異なる「顕著な特徴」があります。
物的加速においては、「加速される物体」Aに、「慣性力」が「生じます」。
これに比して、引力加速においては、「加速される物体」Aに、「慣性力」は「生じません」。この特徴が、物的加速と引力加速とを「峻別」する「顕著な特徴」です。
この特徴があまりにも明瞭であるにも関わらず、これまではこの点が「あいまい」となってきました。それは何故でしょうか?
「慣性力」を「実在の力」として捉えるのではなく、「見かけの力」としてきたからです。「慣性力」の概念があいまいであれば、その「慣性力」の「有無」があいまいになるのは、いわば当然の結果です。
しかし今や、「実在の力」として、「慣性力」の概念は明確です。したがって、「引力加速」において、「慣性力」は「生じない」と「明確に」言うことができます。
しかし既成の概念からして、「引力加速」にも「慣性力」は生じるのではないか、との疑念が湧きます。そこで、「引力加速」において、本当に「慣性力」が生じないのか、逐次検証を進めて行きます。
(※ さて通常「g」(ジー)は「重力加速度」の値を表しています。しかしここでは分析の都合上、この「g」(ジー)を「引力加速度」の値として当面使用します。精密測定において「重力加速度」とは、地球自転の「遠心力」の影響を加味した値です。「引力加速度」は、その「遠心力」を(概念上)除去した値であることとします。しかし実際上の、その値の差は僅かです。そこで地球表面上でのこの「g」の値はおおよそg=9.8m/s2と考えて頂ければ良いでしょう。
なお、このg(ジー)は、(グラム)とも読めます。このため、gという文字が出てくるたびに混乱が生じます。そこで、この小論では、「ジー」と呼ぶ場合には、以下「g」という具体に、「斜体」で表記することとします。)
ここで、非常に高低差のある「エレベーター」を想定します。
そして、そのてっぺんから加速度「g(ジー)」でエレベーターが「落下」するとします。するとそのエレベーター内は「無重力状態」となります。引力加速により、エレベーターが加速度gで「下方」へ向かっているにも関わらず、その中の人に対して「上方」への慣性力は生じません。
さて「エレベーター」が「落下」する中で、エレベーター自体が自らの力で物的加速度を「下方」へさらに1g分「加えて」、引力加速度g+物的加速度g=合計加速度2gと成るとしましょう。すると途端に、エレベーター内の人に、「上方」への慣性力が生じ、そのエレベーター内の人は、「上方」へ「1g」の加速度で「天井」へと押し付けられるでしょう。「下」に向かって、「2gの」加速度で加速しているにも関わらず、エレベーター内に生じる慣性力による加速度は「2g」「ではなく」、「1g」なのです。
2g-1g=1gですから、丸々1g分の慣性加速度が「消えて」いるのです。
これ一つを取ってみても、引力加速度が慣性力を生じないということは、明白なのではないでしょうか? 問題は、一体それが「何故か?」ということです。
重力とは何か?(16)〔引力加速が慣性力を生じない理由〕
引力加速において「慣性力」が生じない理由は、逆に物的加速が「何故慣性力を生じるのか?」といった疑問と裏腹です。
物的加速において、「慣性力」が生じる本質的な理由は、物的加速によって「加速度伝搬の遅延」が生じるからです。物体Bが物体Aを加速していく状況はどうでしょうか。物体Bから物体AのP点から浸透した加速度が、「順次」物体Aの中を伝搬して行く中で、「慣性力」が発生するのです。
これに比して引力加速はどうでしょうか?
引力加速は、エレベーターとエレベーター内の人のあらゆる部分に対して、「同時に」作用し、「同時に加速」するのです。そこには「加速度伝搬の遅延」など生じる余地はありません。したがって、引力加速においては「慣性力」など生じようもないのです。
引力加速が「慣性力」と生じると考えるのは、全くの「錯覚」に基づくものです。
しかし、「錯覚」は「錯覚」であって、「妄想」ではありません。
したがって、一般に「錯覚」には「錯覚」するだけの「根拠」があるのです。
地球が自転しています。しかし「地表」から太陽を見ると、地球ではなく太陽の方が動いているように「見える」のです。
それは「観測者」自身が、地球の自転と共に運動しているからです。そのため観測者自身には、地球の自転運動が「見えない」のです。
「地球の自転」」という「本質」を把握して初めて、「太陽の方が動いている」と感じるのが「錯覚」であると分かるのです。同時にまた「本質」を把握することによって、この「錯覚」が何故半ば必然的に生じるのかというその「根拠」も分かるのです。
そこでいよいよ「重力」の「本質」についての分析に取り掛かります。
重力とは何か?(17)〔重力の本質について〕
再び非常に高低差があるエレベーターを想定します。ただし今度のエレベーターは非常なハイテクエレベーターで、プロペラがついており、ヘリコプターのように自力で空中に「静止」できるものとします。ちなみに「重力」の「本質」を把握するには、「静止」という概念が不可欠です。
そこでそのハイテクエレベーターが、ある階で、自力で空中に「静止」したとします。
すると不思議なことが起こります。今度は、「下向きに」gの慣性加速度が生じ、その中の人はgの加速度で床に押しつけらます。
つまりそのハイテクエレベーター内に、「慣性力」が生じたのです。
しかし、そのハイテクエレベーターは空中に「静止」しているので、「下向きに」gの引力加速度、上向きに同じくgの物的加速度が作用しているはずです。
結果、両方のgが相殺されて、「慣性力」は「生じない」はずなのに、「下方に」向かってのみ「慣性力」が生じています。
これは、これまでの分析のとおり、下向きに作用している引力加速度は「慣性力」を「生じない」が、上向きに作用している物的加速度は「慣性力」を生じるからです。
その結果、下向きの「慣性力のみ」が生じます。
つまり、この空中に静止しているハイテクエレベーター内に「下向きの慣性力」が生じているのは、「引力加速度」によるものでは「無く」、このハイテクエレベーターが生み出す「物体加速度」によるものなのです。
より正確に言うと次のようになります。
「万有引力」により、物体Aが「引力加速度」gで「落下」しようとします。すなわち「引力加速度」gで「下方」へ「加速」しようとします。この「落下」を食い止めて物体Aを「静止」させるためには、「上方」へ加速度gで加速するほかありません。しかし「引力加速度」は「下方」にしか働きません。したがって「上方」へ加速するためには、「物的加速度」によるほかありません。そして「下方」への「引力加速度」gと、「上方」への「物的加速度」gとが「釣り合う」時、その物体Aは「静止」します。その時物体Aには、「物的加速度」gにより、「慣性力」が生じます。この時の「慣性力」が「重力の本質」です。
つまり「重力」とは、単なる「引力加速度」によるものでも、単なる「物的加速度」によるものでもなく、そしてそこに生じる「慣性力」もまた単なる「慣性力」ではありません。
「静止」した状態で、すなわち「引力加速度」と「物的加速度」が「釣り合った」状態において、「その時」生じている「特定」の「慣性力」が、いわゆる「重力」の「本質」なのです。 したがって、「重力」の「本質」(枝葉ではなく)の把握において、「静止」という概念は不可欠なのです。
重力とは何か?(18)〔重力の定義について〕
「静止」した状態で、すなわち「引力加速度」と「物的加速度」が「釣り合った」状態において、「その時」生じている「特定」の「慣性力」が、いわゆる「重力」の「本質」なのです。
しかしその「重力の本質」を正確に把握するためには、もう少し分析を深める必要があります。何故ならば、今分析した「重力」は「重力」ではありますが、それは「空中」での「重力」です。しかし私たちが通常「重力」と呼んでいるものは、「地上」での「重力」です。したがって、「地上」での「重力」を分析しない限り、「重力の本質」を「把握し尽した」とは言えません。また「引力加速度」と「物体加速度」とが、「釣り合わない」場合にも、「慣性力」は生じます。この場合に生じる「慣性力」をも一般には「重力」と呼ぶ場合があります。そこに「重力概念の拡張」が生じます。すなわち「狭義の重力」概念を拡張した「広義の重力」概念が生じます。
この状況を放置したまま分析を進めると、その分析に「混乱」が生じます。
したがって、「重力の本質」を掘り下げていくためには、分析を容易にする方向で「重力の定義」を明確にしていく必要があります。
まず「空中」での「重力」については、「空中重力」と定義します。同様に「地上」での「重力」を「地上重力」と定義します。いずれの場合においても、それは「静止」した状態における生じた「慣性力」についてのみ、それを「真義」の空中「重力」、「真義」の地上「重力」と定義します。しかし、「空中重力」についても、「地上重力」についても、「釣り合わない」状況、したがって「静止しない」状態での「慣性力」は生じます。しかしこのような場合であっても、それを「重力」として表現する場合もあります。したがって「釣り合わない状況」において生じる「慣性力」を、「広義」の「重力」と定義します。
(※ なお、分析を容易にするために便宜上「重力の単位」として「G」(ジー)も使用することとします。すると1Gが「真義の重力」(狭義の重力)であり、2G、3G、0.5G、-1Gなどが、「広義の重量」ということになります。「重力の単位」としての「G」(ジー)は、正式な「法定計量単位」ではありませんが、説明の都合上使用をお許しください。)
さて、先ほどのハイテクエレベーターに、質量mの物体Aがあるとします。
ここで、そのハイテクエレベーター、物的加速度3gで「上」に向かって加速するとします。するとその3gの物的加速の結果、物体Aには、「下」に向かってm✕3gの「慣性力」が生じます。しかしそのうち、「引力加速度」と釣り合っている「物的加速度」は1gのみです。したがって「真義」の空中「重力」はm✕「1g」のみで、後のm✕「2g」については、厳密には「重力」ではなく「残りの慣性力」です。しかし「広義」の空中「重力」においては、この「真義」の空中「重力」m✕1g+「残りの慣性力」m✕2g=3gが、「広義」の空中「重力」となります。これを通俗的に表現すると、「上」に向かって3gの加速度で加速するハイテクエレベーター内には、3Gの(広義の)重力が生じる、ということになります。
「地上重力」についても、同様な現象があります。「地上重力」において、「引力加速度」と「物的加速度」が「釣り合わず」「静止しない」場合とは、例えば物体Aが、流体中を沈降して行く場合や、また物体Aが坂道を滑り落ちて行く場合などです。この場合に生じる「物的加速度」が例えば3分の1gとなれば、そこに生じる「慣性力」も3分の1gとなります。この場合に生じる「慣性力」についても、「拡張」された地上「重力」ということができます。なお、地球の自転がもたらす「遠心力」の影響については、別途考察します。
重力とは何か?(19)〔空中での質量の測定について〕
以上のことを踏まえて、「空中」で物体Aの「質量」を正確に測定することができます。
例えば、物体Aを「上」に、すなわち「引力」と「正反対の方向」に「3g」で、ハイテクエレベーター「物的加速」することによって、その物体Aの「質量」を測定することができます。ただし、この場合の「3g」を正確に捉えてください。この「3g」が「何に対する」3gなのかということです。この「3g」は、「引力加速度」1gに対する「3g」です。しかし、「3g」のうちの「1g」は、「引力加速度」と「釣り合うこと」に使われてしまいます。とするとこのハイテクエレベーターは「残りの2g」で「上」の方向に加速して行くこととなります。ということは、「静止点に対しては」2gの加速度で加速しているということになります。
以上のことを踏まえて、「空中」で、物体Aの質量を測定することができます。
ここで、分析をより正確にするために、「引力加速度」、「物的加速度」、「慣性力」にそれぞれ「正負記号」をつけることとします。したがって「引力加速度」を+1gとすれば、「物的加速度」は-1g、「慣性力」は+1gとなります。
ここでまずこのハイテクエレベーターを「落下」させます。落下と同時にそのハイテクエレベーターの「引力加速度」は+1gとなります。その時そのハイテクエレベーター内は「無重量」となります。そして、そのハイテクエレベーターを「上」方向に徐々に加速し、そのハイテクエレベーターの「物的加速度」が-3gになるとします。
その時の、「バネ」を取り出してまず「1㎏」の基準分銅を牽引し、その時の「バネ」の「長さの変化」を測定します。その時の「バネ」の「長さの変化」が「30㎝」になったとします。次に「バネ」に替えて質量不明の物体Aを牽引します。そしてその時の「バネ」の変化が「60㎝」となったとすれば、物体Aの「質量」は次のとおりとなります。
物体Aの質量m=1kg ×(60㎝÷30㎝)=1㎏×2=2㎏となります。
この時この物体の「質量」を「万有引力」の「影響下」で測定しています。しかしこの「質量」を「万有引力」を「使って」「測定」したのではありません。したがってのこの場合の「質量」もまた、「慣性質量」であるということができます。
重力とは何か?(20)〔空中重力と質量について〕
以上のように、「空中」で、「万有引力」を「利用しないで」、その物体Aの「質量」を測定することができます。
しかしこの方法には問題があります。-3gの「物的加速度」を掛け続けると、このハイテクエレベーターはあっという間に建物内から飛び出してしまいます。
またこの「-3g」という加速度自体は目に見えないので、この「-3g」を「維持」するには、設備や技術が要ります。
しかしもっと良い方法があります。
それは、「物的加速度」を「-3g」ではなく、「-1g」にする方法です。
すると「引力加速度」+1gと「物的加速度」-1gとが「釣り合います」。すなわち「静止」します。したがって、このハイテクエレベーターがある階で「空中」に「静止」しているということは、その時のハイテクエレベーターの「物的加速度」が-1gであるということです。そしてこの「静止」状態の確認は比較的容易に確認できます。したがって、比較的容易に、このハイエクエレベーターの「物的加速度」を-1gに「調節」できます。
そして先ほどと同じ方法で、「バネ」の「長さの変化」を利用して、物体Aの「質量」を測定することができます。例えば、「基準分銅」を牽引した場合の「バネ」の「長さの変化」が「10㎝」であり、物体Aを牽引した場合の「バネ」の「長さの変化」が「20㎝」であったとします。すると
物体Aの質量m=1kg ×(20㎝÷10㎝)=1㎏×2=2㎏となります。
ここでこの物体Aの「質量」の測定において、「静止」の「目安」として、「間接」に「万有引力」を利用しました。しかしこの物体Aの測定においても、「直接」に「万有引力」を利用したのではありません。したがって、この場合の「質量」も「慣性質量」ということができます。
重力とは何か?(21)〔重さと重量について〕
「空中」で物体Aの「質量」が測定できたところで、次には「重さ」や「重量」について分析します。
まず「重さ」です。「重さ」とは重「さ」です。したがって、「重さ」とは「感じ」であり「感覚」です。「重さ」とは、「速さ」、「高さ」、「熱さ」、「大きさ」など同じように、「感覚」で感じるものです。同時にまたそれは、「感覚」で測った「量」をも意味します。すなわち「重さ」とは、人間の「感覚」で測った「感覚量」でもある訳です。
しかし人間の「感覚」は、「主観的」であり、「不確か」なものでもあります。そこでその「重さ」を「何らかの手段」で、「客観的」に測定する必要が生じます。そこで登場するのが「秤(はかり)」です。ここでは、「ばね式はかり」を用いて、物体の「重量」を「客観的」に測定する中で、「重量とは何か」を分析して行くこととします。
「重力」の測定に先立って、まず「ばね式はかり」とは何かについて、簡単に説明しておきます。「ばね式はかり」では、単体の「バネ」と同じように、「バネ」の「伸びの長さの差」を用いて測定する物体の「質量」を測定することができます。ただし、単体の「バネ」は、その「伸びの長さの差」によって、測定する物体の「質量」を表現しますが、「ばね式はかり」は、その「伸びの長さの差」を、さらに目盛り盤上の「目盛」(めもり)の「数」に置き替えます。
例えば、1目盛で100g、10目盛で1㎏、20目盛で2㎏、30目盛で3㎏、という具合です。そしてその目盛りの数は、「ばね式はかり」の「針」が示す位置を見れば分かります。しかも、10目盛ごとに1㎏、2㎏、3㎏などという風に表示がされていますので、一層測定が便利となっています。
このように、「ばね式はかり」を使えば、物体の測定に際して、いちいち「バネ」の「伸びの長さの差」を見なくても、目盛り盤上の「目盛りの数」や、目盛り盤上の「数字」を見ればその物体の「質量」を測定することができて、大変便利です。
このように「はかり」は、測定する物体の「質量」を簡易に測定できるので、「はかり」のことを、一般に「質量計」と呼んでいます。
ただしこれから測定しようとしているのは、「質量」ではなくて「重量」です。この「重量」の測定結果を見れば、「質量」と「重量」との「違い」は自ずと明らかです。
重力とは何か?(22)〔空中での重量の測定について〕
さてまた先ほどのハイテクエレベーターに登場してもらいます。このハイテクエレベーターが地上を発進し、グングン上方へと加速度を増して行きます。身体にも、手に持った物体Aに対しても、ますます「重さ」を感じていきます。どうやらその加速とともに「重量」が「増加」して行くようです。
そうするうちに、「引力加速度」+1gに対して、このハイテクエレベーターの「物的加速度」が-3gとなりました。
この時、先ほどの「ばね式はかり」に1㎏の「基準分銅」を載せてみます。するとその時の「ばね式はかり」の「針」を見ると、0から数えて目盛の数は「30」目盛ありました。ちなみにその時「ばね式はかり」の「針」は、「3㎏」を示していました。
次に、重さ不明の物体Aを、「ばね式はかり」に載せてみます。ちなみにその時「ばね式はかり」の「針」は、「6㎏」を示していました。
するとその時「ばね式はかり」の「針」は「60」目盛を示していました。
さて今度は、「ばね式はかり」の「目盛の数の変化」を利用して、物体Aの「質量」を測定することがでるはずです。ここで1㎏の「基準分銅」を載せた場合の「ばね式はかり」の「目盛の数」が「30」目盛であり、物体Aを載せた場合の「ばね式はかり」の「目盛の数」が「60」目盛であったので、
物体Aの質量m=1kg ×(60目盛÷30目盛)=1㎏×2=2㎏となります。
次にこのハイテクエレベーターの加速度を徐々に落としていきます。するとなんだか先ほどよりは少し「軽く」なったようです。どうやら「重量」が先ほどよりは少し「減少」したようです。
そうするうちに、「引力加速度」+1gに対して、このハイテクエレベーターの「物的加速度」が-2gとなりました。
この時、先ほどの「ばね式はかり」に1㎏の「基準分銅」を載せてみます。するとその時の「ばね式はかり」の「針」を見ると、0から数えて目盛の数は「20」目盛ありました。ちなみにその時「ばね式はかり」の「針」は、「2㎏」を示していました。
次に、先ほどの物体Aを、「ばね式はかり」に載せてみます。
するとその時「ばね式はかり」の「針」は「40」目盛を示していました。ちなみにその時「ばね式はかり」の「針」は、「4㎏」を示していました。
先ほどと同様にして、先ほどの物体Aの「質量」を算定してみます。
さてここで1㎏の「基準分銅」を載せた場合の「ばね式はかり」の「目盛の数」が「20」目盛であり、物体Aを載せた場合の「ばね式はかり」の「目盛の数」が「40」目盛であったので、
物体Aの質量m=1kg ×(40目盛÷20目盛)=1㎏×2=2㎏となります。
ここでも物体Aの「質量」はやはり2㎏であることが分かります。
次にこのハイテクエレベーターの加速度をまた徐々に落としていきます。するとなんだか先ほどよりはさらに少し「軽く」なったようです。どうやら「重量」が先ほどよりはさらに少し「減少」したようです。
そうするうちに、「引力加速度」1gに対して、このハイテクエレベーターの「物的加速度」が-1gとなりました。
この時、先ほどの「ばね式はかり」に1㎏の「基準分銅」を載せてみます。するとその時の「ばね式はかり」の「針」を見ると、0から数えて目盛の数は「10」目盛ありました。ちなみにその時「ばね式はかり」の「針」は、「1㎏」を示しました。
次に、先ほどの物体Aを、「ばね式はかり」に載せてみます。
するとその時「ばね式はかり」の「針」は「20」目盛を示しました。ちなみにその時「ばね式はかり」の「針」は、「2㎏」を示しました。
先ほどと同様にして、先ほどの物体Aの「質量」を算定してみます。
さてここで1㎏の「基準分銅」を載せた場合の「ばね式はかり」の「目盛の数」が「10」目盛であり、物体Aを載せた場合の「ばね式はかり」の「目盛の数」が「20」目盛であったので、
物体Aの質量m=1kg ×(20目盛÷10目盛)=1㎏×2=2㎏となります。
ここでも物体Aの「質量」はやはり2㎏であることが分かります。
ここで「重量の単位」が問題となります。「重量の単位」として正式には「N(ニュートン)」を使います。しかしこれでは「単位の換算」がややこしく、かえって分かりにくくなります。そのためここでは「重量の単位」としてあえて「キログラム重」を使います。
これにより、ここで使用する「ばね式はかり」の「針」が、「1㎏」を指せば、その物体の「重量」は「1㎏重」となります。同様にその「針」が「2㎏」を指せば「2㎏重」、「3㎏」を指せば「3㎏重」の「重量」となります。
ここで先ほどのハイテクエレベーターでの「質量」と「重量」との「関係」を示すと、図11となります。
(図11)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
このように、「物的加速度」の変化によって、その物体の「質量」は変化しませんが、その物体の「重量」は、その物体の受ける「物的加速度」に「比例」して変化します。
つまり「重量」とは、「物的加速度に比例」する「慣性量」のことです。
したがって、「引力加速度」が「0」であっても、「物的加速度」生じれば、「重量」もまた生じます。何故ならば、「引力加速度」は「慣性力」を生じず、「慣性力」を生じるのは「物的加速度」のみであるからです。
重力とは何か?(23)〔静止重力と非静止重力について〕
さてここで再び、「重量の分析」から「重力の分析」へと戻ります。
さてこれまでの考察の中で、「重力」の「本質」を、「静止」した状態で、すなわち「引力加速度」と「物的加速度」が「釣り合った」状態において、「その時」生じている「特定」の「慣性力」である、としました。
このように「静止」状態における「重力」を、「静止状態における重力」すなわち「静止重力」(「狭義の重力」)と呼ぶことにします。しかし「静止」状態でない状態においても、「物的加速度」が生じる以上「慣性力」が生じます。そこで「静止」状態でない状態において、「引力加速度」と「反対方向」に「物的加速度」が生じる結果、その「慣性力」が「下」向きに生じた場合、その生じた「慣性力」を「非静止重力」と呼ぶこととします。
何故わざわざそんなことをするかと言えば、その「非静止重力」の形態は実に多種多彩で、簡単には分析し尽されないからです。しかし「静止重量」(「狭義の重力」)については、考察範囲が限定されるので、分析が非常にやり易くなるという訳です。
そこでもし「非静止重力」について分析をしたければ、まず「静止重力」の分析を終えた「後」に、「静止重力」の「補正」として、必要に応じて「非静止重力」を分析すれば良いということになります。
ここでまたあのハイテクエレベーターへと戻ります。
ハイテクエレベーターの「物的加速度」が-1gの時、このハイテクエレベーターはどこかの階で、「静止」していました。何故ならば、「引力加速度」が+1gなので、1g+(-1g)=0となり、ハイテクエレベーターが「静止」することとなります。
さて先ほどの例で、この「静止」した状態で1㎏の「基準分銅」を「ばね式はかり」に載せたところ、この「ばね式はかり」は正確に「1㎏」を示しました。
ということは、この「ばね式はかり」は「誤差」無く、「1㎏」を示すことができる良好な「はかり」だということができます。
もし「不良」な「はかり」であるならば、この「静止」した状態で1㎏の「基準分銅」を載せても「1㎏」とは表示されず、「0.9㎏」や「1.1㎏」と表示されてしまいます。この時生じている「はかりの誤差」を「器差」と言います。
ハイテクエレベーター内での測定の結果、ここで使用した「ばね式はかり」は、「器差」の無い「良好」な「はかり」であったということができます。
しかしここでの測定は、ハイテクエレベーターが「物的加速度」-1gで「上方」に加速し、「その結果」「静止」している状態での測定でした。
そしてその時1㎏の「基準分銅」が生じる「慣性力」が「空中」での1㎏の「重力」であり、「空中重力」を表しています。
しかしそれは「空中重力」であっても、「地上」での「重力」すなわち「地上重力」ではありません。したがって次には、これまでの分析の結果を踏まえながら、いよいよ「地上重力」の分析へと進みます。
重力とは何か?(24)〔地上重力について〕
さて以上により、「空中」に「静止」した状態での、「重力の本質」については分かりました。
しかし、「空中」だけではなく、「地上」においても同様な結論を得ることができなければ、本当に「重力の本質」を把握し尽したとは言うことができせん。
したがって、次は「地上」における重力の分析を行うこととします。
そのため、先ほどのハイテクエレベーターのプロペラを停止し、「地上」へと降り立つことします。
さて、このハイテクエレベーターは地上に降り立ち、そのプロペラも完全に停止しました。したがって、プロペラによる「上方」への「物体加速度」-1gは、もはや作用していません。そのためその「上方」への「物体加速度」-1gによる、「下方」への「慣性力」+1gも生じないはずです。したがってこのエレベーター内には、「重力」もまた生じない、ということになります。
しかし、このプロペラによる「上方」への「物体加速度」-1gが作用していないにも関わらず、「地上」では、「重力」が生じています。存在しえないはずの「重力」が存在している、ここに大きな「謎」が生じるのです。
したがって、この{謎}の解明が、次の大きな課題となるのです。
しかし今やこのハイテクエレベーターは、「地上」に降り立っています。したがって、この「謎」を解く「鍵」は、「地上」そのものにあると考えられます。
ということは、「地上」に降り立ったこのハイテクエレベーターは、今やそのプロペラによる「物体加速度」に「替わる」「何か」を、「地上」から得ている、ということになります。
このことを「鍵」として、考察を進めて行きます。
重力とは何か?(25)〔鉛直抗力について〕
テーブルの上に物体、例えば「コップ」があります。その物体(コップ)には「万有引力」が作用しています。そこでそのコップは、「落ちよう」とするはずです。しかし落ちません。「静止」しています。それは何故でしょうか?下の「テーブル」が、落ちるのを食い止めているからです。しかしテーブルもまた、落ちようとするはずです。そのテーブルを支えているのはその下の「床」です。しかしその床も落ちません。その下の「地面」が支えているからです。しかしその地面も落ちません。その下の「岩盤」が支えているからです。等々・・・と、地球の中心に至るまで続きます。
結局、テーブルの上のコップが落下しないのは、「地球の中心」から「テーブル」までに至る、連綿たる「力の連鎖」が作用しているからだ、ということになります。
そしてコップが「落下」しないで「静止」するのは、物体としての「地球」が、コップに対して何らかの「上向きの力」を与えているからだ、ということになります。
そしてこの「何らかの力」は、地球の中心からテーブルに至るまで、「鉛直」かつ「上方」に作用しています。したがってこの「何らかの力」を「鉛直抗力」と呼ぶこととします。
それでは、この「鉛直抗力」の「本質」は何か。この「鉛直抗力」の基本的な「本質」は、物体としての「地球」(及びその上のテーブル等の付属物)における「各分子」の中の「電子の反発力」です。
地球が地球自身に対して、自らの「万有引力」を作用させます。するとその万有引力は「球体」である「地球」にとって、「収縮力」を生じます。この収縮力は、地球を構成する各分子を「収縮」させようとします。しかしその各分子における各電子は、一定の「電子軌道」を保とうします。その結果、各電子・各分子による「反発力」が生じます。テーブルから地球の中心に至るまでのこの「集積した力」が、「鉛直抗力」となるのです。
このように「鉛直抗力」は、「万有引力」とは正反対の方向に、すなわち「鉛直上方」に作用するのです。
そして「鉛直抗力」には、もう一つ重要な特徴があります。
それは「鉛直抗力」がまさに「抗力」として作用する、ということです。
「鉛直抗力」は主動的な力ではありません。それは「万有引力」に対する「抗力」として生じる「受動的」な力です。 したがって「静止」状態である限り、「万有引力」が「1」働けば、「鉛直抗力」もそれに対する「抗力」として「1」だけ生じます。「万有引力」が「2」働けば、「鉛直抗力」もまた「2」だけ生じます。何故ならば、「鉛直抗力」の基本的な本質(枝葉は別として)が、自己の軌道を「回復」しようとする「電子」の「反発力」だからです。
このように「鉛直抗力」には、「抗力」としての特徴があります。
※なお、この「鉛直抗力」の概念を、「斜面」に働く「垂直抗力」と混同しないで下さい。
「鉛直抗力」と「垂直抗力」とは互いに関連しますが、互いに別の概念です。
重力とは何か?(26)〔万有引力と鉛直抗力の吊り合いについて〕
さて、テーブルの上のコップに戻ります。
テーブルの上のコップが「万有引力」により「落下」しようとします。するとその下の「テーブル」は、テーブルから地球の中心に至るまでの全鉛直抗力を「代表」して、そのコップを支えようとします。すなわち「鉛直抗力」を発動してそのコップを支えようとします。今コップの質量がmだとすると、そのコップに働く万有引力はm×(+1g)です。したがって、そのテーブルはm×(-1g)の鉛直抗力で、そのコップを支えようとします。したがって、「加速度」という点で見ると、そのテーブルが発する「物体加速度」は「上方」に-1g「だけ」作用します。「静止」という観点からみると、この-1g「だけ」の「だけ」が重要です。
もし「鉛直抗力」が、上方に-1gを「超える」物体加速度を生じるようなものであるならば、「気球」の様に上昇し、「地上」に「静止」できません。
また「鉛直抗力」により「上方」に生じる加速度が、-1gより「小さい」場合はどうでしょうか。例えばテーブルではなく、「粘土」や「流体」のようなものの上にコップを置いた場合に、このような状況が生じます。すなわち、「粘土」や「流体」の中に、コップが「沈み込んで」行くのです。しかし「テーブル」の上では、このようなことは起こりません。コップに生じる「万有引力」によって、「テーブル」の表面が多少へこんでも、その変形は一時的なものであり、そのへこみには「限度」があります。すなわちテーブルにはそのへこみを「回復」しようとする力、すなわち「鉛直抗力」が生じ、その「鉛直抗力」と「万有引力」とが、「吊り合う点」で「静止」します。もし「釣り合わなければ」、「粘土」や「流体」の場合のように沈み込んでいき「静止」しません。またテーブルが「傾いて」いて、「斜面」となっている場合にも、「鉛直抗力」が上方へ生じる物的加速度は、引力加速度+1gより「大きさ」が「小さく」なります。結果「摩擦力」が無ければ、テーブルの上のコップは、テーブル上を「滑り落ちて」行きます。したがって、テーブル上にコップが「静止」しているということは、「下方」へと向かう「万有引力」と、「上方」へと向かうテーブルの「鉛直抗力」とが、まさに「釣り合っている」ということなのです。
そして、テーブルの上のコップが「静止」しているということは、「下方」へ向かう「引力加速度」+1gに対し、テーブルの「鉛直抗力」により「上方」へ向かう「物体加速度」-1gとが「方向」は「正反対」で、その「大きさ」は「必ず同じ」であるという事になります。
これを一般化すれば、「地上」において「静止」している物体に働く「鉛直抗力」によって生じる「物体加速度」の「方向」は、必ず「引力加速度」の方向と「正反対」であり、その「物的加速度」の「大きさ」は必ず「引力加速度」の「大きさ」と「同じ」となります。
したがって、「静止」した物体に作用する「物体加速度」の大きさは、「必ず」「-1g」となります。
重力とは何か?(27)〔静止について〕
ここまで読まれてすでにお気づきのように、「地上」において、その地表上の物体に対して、その物体に「物的加速度」を与えているものは、「鉛直抗力」なのです。
「地球」の「万有引力」が生じる「引力加速度」と、同じく「地球」によって生じる「鉛直抗力」とが「釣り合って」その物体が「静止」し、その「静止」した状態において生じたその時の「特定の」「慣性力」が、「地表」における「重力」となるのです。これが「地上」における「重力の本質」です。
ただしここで「静止」という概念を、正確に捉えておく必要があります。
「万有引力」は、地上の物体に対し、「絶えず」作用しています。したがって、地上の物体に対して「引力加速度」gも「絶えず」作用しています。同時に「万有引力」に対する「抗力」として「鉛直抗力」もまた「絶えず」作用しています。その結果「静止」している物体が生じる「慣性力」、従って「地上における重力」=「地上重力」もまた「絶えず」生成しています。つまり「物体」は「絶えず」「運動」しているのです。「静止」とは、実はこの「運動」している状態のことなのです。「物体」が「絶えず」運動している結果、「絶えず」「慣性力」が、したがって(地上)「重力」が、生じているのです。
繰り返します。「静止」とは、「運動」している状態のことです。
確かに、「目」という「感覚」器官を通してみてみると、その物体(例えばテーブルの上のコップ)は、「静止」しているように「見えます」。
しかし「思考」という「顕微鏡」を通して、テーブルとテーブルの上のコップの「全分子」を見てみると、「万有引力」により「全分子」が「絶えず」落下しようとしているのが見え、これにより絶えずその「全分子」が「収縮」しようとし、この「収縮」に対して「全分子」が「絶えず」反発し、その「反発力」が「絶えず」「鉛直抗力」を生じ、その「鉛直抗力」が「引力加速度」gとは「正反対」の方向に「絶えず」「物的加速度」-gを生じ、その物的加速度が物体中の「全分子」に対して「絶えず」「部分慣性力」を生じ、その部分慣性力が「絶えず」結合して物体(例えばコップ)としての「統合」した「慣性力」をその物体の「作用点」(ここではテーブルと接する部分)に生じ、そしてそれがいわゆる「静止」状態における「慣性力」であるがゆえに、その慣性力は(地上)「重力」であり、したがって(地上)「重力」が絶えず生み出されているという、絶え間ない「運動」の状況が、見えます。このことは、「熱」のおける「分子」の運動と比較すると、一層良く理解できます。
つまり「地上」における「全て」の物体にとって、「静止」とは同時に「運動」であり、「運動」するが故に「静止」できるのです。つまり物体にとって「静止」とは「動的静止」であり、「動的静止」であるが故に、「絶えず」「重力」を生じることができるのです。
重力とは何か?(28)〔重力質量と慣性質量について〕
ここで「鉛直抗力」について、補足的に説明を致します。
「鉛直抗力」は、「万有引力」が物体に作用する中で、その「万有引力」に対する「抗力」として生じます。この「抗力」という概念が、「地上」重力分析の「核心」を成します。
この「抗力」という概念が無くては、「空中」における「重力」の説明はできても、「地上」における「重力」の「本質」の分析はできません。
そしてこの「抗力」という概念は、「静止」(動的静止)という概念と表裏一体です。
「抗力」とは「受動的な力」であり、「主動的な力」すなわち「万有引力」により生じます。また「抗力」であるが故に、「鉛直抗力」は、主動的な力である「万有引力」と「完全」に「釣り合います」。逆に「釣り合わなければ」、その物体は「静止」できません。
したがって、完全に「静止」しているということは、完全に「釣り合っている」ことであり、完全に「釣り合っている」ということは、互いの加速度が、すなわち「引力加速度」と「物的加速度」とが、完全に「正反対の方向」にかつ完全に「同じ大きさ」であることを示しています。つまり、「引力加速度」と「鉛直抗力」により生じる「物的加速度」とが、「ベクトル」としては「正反対」であるが「スカラー」としては「同一」であることを示しています。その結果、「引力加速度」が+1gであるとすると、これに対応する「物的加速度」は、「必ず」-1gとなります。
その結果、その「物的加速度」-1gが生じる「慣性力」も「必ず」+1gとなります。
したがって、その時の「地上」重力もまた、「必ず」+1gとなります。
この結果「万有引力」が生じる「引力加速度」が+1gであるならば、その時生じる「慣性力」の「内的加速度」も「必ず」+1gとなります。
ここで「質量」mの物体Aがあるとします。
するとそこに働く「万有引力」は「m×(+1g)」です。
したがって、その「万有引力」によって生じる「鉛直抗力」は「m×(-1g)」です。
したがって、その「鉛直抗力」によって生じる「慣性力」は「m×(+1g)」です。
この時生じる「慣性力」が「地上」「重力」です。
したがって、(地上)「重力」もまた「m×(+1g)」です。
ここで「万有引力の法則」により、物体の受ける「引力」はその物体の「質量」に比例するとされています。したがって、その逆に、その物体が受ける「引力」が分かれば、その物体の「質量」が分かります。このように「万有引力を基準として(用いて)」その物体の「質量」を「測定」した場合の、その物体の「質量」(の値)を一般に「重力質量」と呼びます。
他方、その物体の「質量」(の値)を「測定」するのに、その物体の持つ「慣性力」を利用する方法があります。そしてそのように「慣性力を基準として(用いて)」その物体の「質量」を「測定」した場合の、その物体の「質量」(の値)を一般に「慣性質量」と呼びます。
ここで物体Aの「質量」の値が不明であるとします。そしてこの質量不明の物体Aの「重力質量」をm(U)、「慣性質量」をm(I)とします。
するとそこに働く「万有引力」は「m(U)×(+1g)」です。
したがって、その{万有引力}によって生じる「鉛直抗力」は「m(U)×(-1g)」です。
したがって、その「鉛直抗力」によって生じる「慣性力」は「m(U)×(+1g)」です。
他方、「慣性質量」がm(I)の物体に「+1g」の加速度が加わる時に生じる「慣性力」は「m(I)×(+1g)」です。
したがって、「m(U)×(+1g)」=「慣性力」=「m(I)×(+1g)」となります。
したがって、「m(U)=m(I)」、すなわち「重力質量=慣性質量」となります。
そしてこの時生じる「慣性力」が(地上)「重力」です。
すなわち、(地上)「重力」=「慣性力」=「m(U)×(+1g)」=「m(I)×(+1g)」となります。
したがって(地上)「重力」を測定することにより、その物体の「重力質量」と「慣性質量」とを、つまりはその物体の「質量」を測定することができます。
これが「ばね式はかり」など「重力利用型」の「質量計」の根本原理です。
ここで、やや繰り返しにはなりますが、「重量質量=慣性質量」であることを、もう少し詳しく説明いたします。
ここで先ほどと同じく、「重力質量」=m(U)、「慣性質量」=m(I)とします。
すると物体Aに作用する「万有引力」=m×(+1g)ですが、この時の「m」は、「万有引力の強さ」を基準としています。したがってこの時の「m」は、「重力質量」m(g)であることとなります。
したがって、
「万有引力の強さ」=m×(+1g)=m(U)×(+1g)・・・①式 となります。
他方、このm(U)×(+1g)によって、「鉛直抗力」が生じます、「鉛直抗力」はベクトルとしては「万有引力」及び「引力加速度」とは、「正反対」の方向に作用します。しかしスカラーとしては、「万有引力の強さ」と「鉛直抗力の強さ」とは同じになります。
したがって、「正負記号」をつけてこの「鉛直抗力」を表現すると、
「鉛直抗力」=-「万有引力」=-(m(U)×(+1g))・・・②式 となります。
この「鉛直抗力」が作用する結果、物体に慣性力が生じます。
そしてその時に生じる「慣性力」は、ベクトルとしては「鉛直抗力」及び「物的加速度」と「正反対」の方向に作用します。しかしスカラーとしては、「鉛直抗力の強さ」と「慣性力の強さ」とは同じとなります。
この結果、
「慣性力」=-「鉛直抗力」・・・③式 となりますが、
これに②式を代入すると、
「慣性力」=-「鉛直抗力」=-(-「万有引力」)=+「万有引力」・・・④式 となります。
また同時に、
「慣性力」=-「鉛直抗力」=-(-「万有引力」)=-(-(m(U)×(+1g)))=m(U)×(+1g)
故に 「慣性力」=m(U)×(+1g)
故に m(U)×(+1g)=「慣性力」・・・⑤式 となります。
他方、「慣性質量」m(I)とは、「「慣性力の強さ」を基準として測定した「質量」です。
そして、この「慣性力の強さ」は、その物体の「慣性質量」m(I)と、その物体に作用する「物的加速度」の大きさによって決定されます。ここでこの物体に作用する「物的加速度」は、「鉛直抗力」の結果生じたものです。したがって、この場合の「物的加速度」の大きさは「正確に」「+1g」です。
したがってこの「慣性力」の強さは次のようになります。
「慣性力」=m(I)×(+1g)・・・⑥式
ここで⑤式と⑥式とを合わせると、次のようになります。
m(U)×(+1g)=「慣性力」=m(I)×(+1g)
故に m(U)=m(I)・・・⑦式 となります。
ここで定義により、m(U)=「重力質量」、m(I)=「慣性質量」です。
したがって「重力質量」=「慣性質量」で「ある」こととなります。
重力とは何か?(29)〔万有引力と重力質量について〕
さて、以上のように「重力質量=慣性質量」となりました。
それでは次に、「重力質量=慣性質量」となるその根源について、更に考察を進めたいと思います。
これは「重力質量」の本質、したがって「万有引力」の本質に関わります。
一般に、「万有引力」との関係では、「質量」は二つの側面を持ちます。
すなわち、その物体の質量が大きければ大きいほど、より大きな「引力」(正確には「引力加速度」)を生じます。すなわち「質量」を持つ物体(例えば「地球」)には、「引力」を生じる力、いわば「起引力」が生じます。他方、例えば地球上の「コップ」には、その「引力」を受けて、支えが無ければ「落下」する能力、いわば「受引力」があります。
むろん、コップにも「起引力」があり、地球にも「受引力」がありますが、分析の都合上「地球」に主体的な「起引力」があり、「コップ」に受動的な「受引力」があるものとします。
ここで物体B(例えば「地球」)の質量が大きくなればなるほど、その「起引力」は増大します。他方物体A(例えば「コップ」)に生じる「受引力」は、必ずしもそうなりません。
何故ならば、そのコップの「質量」に「関わりなく」、その「コップ」は「同じ加速度」で「落下」するからです。ガリレオの実験のとおり、「重い物体」も「軽い物体」も「同じ加速度」で落下し、「同じ」時間で地面に衝突するのです。
つまり「引力」による「落下」によっては、その物体の「質量」は測定「できない」ということになります。 したがって、「引力」とは「引く」「力」であるというものの、それは「潜在的な力」なのです。
「引力」というこの「潜在的」な「力」が、「顕在的」・「現実的」な「力」となるのは、その「引力」による「運動」(つまり「落下」)に「抵抗」が生じた場合です。
すなわち、ハイテクエレベーターの推進力や、地球自身の「鉛直抗力」により、その物体の「落下」に「抵抗」が生じると、「引力」は引力としての「潜在的」な「力」を、「顕在的」・「現実的」な「力」として発現します。すなわち「潜在的な力」としての「引力」は、「鉛直抗力」などの「物的な力」・「物的加速度」の影響により、その運動に「抵抗」が生じた場合に、その「抵抗」に打ち勝って自己を貫徹しようとする、「顕在的」・「現実的」な「力」と成ります。
したがって、その物体の「質量」を「引力」によって「直接」計測できない以上、「重力質量」と言っても、結局は「物的力」・「物的加速度」を「媒介」としなければ、計測できないということとなります。しかしその「物的加速度」の値を一々計測していたのでは、手間でもあり不正確でもあります。そこで計測する物体を「地上」に「静止」させれば、「引力加速度」と「同じ大きさ」の「物的加速度」を「逆方向」に正確に与えることとなります。
そしてその時この「物的加速度」は、「慣性力」を生じ、その「慣性力の大きさ」は、「物的加速度」と「同じ大きさ」であり、その生じる方向は「逆方向」となります。ここで 慣性力の大きさ=質量×(+1g)です。これを逆算すると、質量=「慣性力の大きさ」÷(+1g)と成ります。したがって、この「慣性力の大きさ」を「測定」すれば、結局その物体の「質量」を「測定」したこととなります。
以上を要約しますと、「引力」(受引力)によっては、「直接的」に、計測する物体の「質量」を「計測」することは「できない」。
したがって、「物的加速度」を「媒介」として、その「慣性力」を「計測」するほかない。
したがって、「重力質量」の「測定」は、結局は「慣性力」の「測定」によるほかない。
したがって、「重力質量」は必ず「慣性質量」となる。
以上が分析的結論です。
重力とは何か?(30)〔鉛直抗力と物的加速度の伝搬について〕
以上のように、「重力質量」=「慣性質量」となりました。
ここで改めて、「重力」とは何か、について考察をしてみたいと思います。
「重力」の「本質」にあるのは、「慣性力」です。しかし「単純」な「慣性力」ではないのです。「万有引力」が「鉛直抗力」を生み、その「鉛直抗力」がさらに「慣性力」を生み出すことによって、「その」「慣性力」が、(地上)「重力」となるのです。
そうした「万有引力」、「鉛直抗力」そして「慣性力」とが、いわば「三位一体」を成すことによって、はじめてその「慣性力」が「重力」となるのです。
そしてこの「三位一体」が、「重力の構造」を成しています。通常私たちが「重力」と呼んでいるものは、こうした「メカニズム」、こうした「構造」をもった「慣性力」なのです。
こうした「構造」の中で、初めて「万有引力」が「重力」に「転化」するのです。
そして「万有引力」が「重力」に「転化」するに際して、その「橋渡し」、いわば「媒介」の役割を果たすのが、「鉛直抗力」である訳です。したがって、「重力の構造」において、「鉛直抗力」は、まさに「核心的」役割を果たします。
そのため、この「鉛直抗力」について、もう少し補足的な説明を致します。
まず「鉛直抗力」の「伝搬」についてです。
地球の中心から、対象となる物体に至るまで、その「鉛直抗力」はどのように「伝搬」し、またその物体に作用するのか。具体的な事例を挙げて考察します。
「テーブル」の上に「コップ」があります。そしてこのコップは、「静止」(動的静止)しています。しかしそのコップは、「万有引力」により「落下」しようとしています。その時の「引力加速度」は+1gです。これに対して、テーブルは「常に」-1gの「物的加速度」を与えています。そしてその「物的加速度」-1gは、「鉛直抗力」によるものです。
つまり、「鉛直抗力」が、具体的・現実的に「鉛直抗力」とし作用しているのは、コップとテーブルとの「接触部分」においてなのです。
しかしその「接触部分」に至るまでには、「様々な経路」があります。したがって、その「鉛直抗力」が「伝搬」してくる「経路」は一様では「無い」のです。
具体的には、「テーブル」には「足」が4本あります。したがってこのテーブルの上の「コップ」に作用している「鉛直抗力」は、この「4本」の足、「4本の経路」を伝って、「伝搬」してきているのです。
そしてこの4本の足にも「質量」があり、従ってこの「4本の足」働く「力」はそれぞれ「異なり」ます。しかし、「物的加速度」について見てみると、その4本の「どの足」にも、働く「物的加速度」は「常に」「同じ」大きさ、つまり「-1g」なのです。
「何故そのことが分かるのか?」。それはこの「テーブル」もまた「静止」しているからです。「4本の足」に作用する「物的加速度」がもし「違う」ならば、それぞれの「足」は、それぞれ「違う」加速度で運動します。そうすると、ある「足」は床から浮き上がり、ある「足」は床に沈みむという、まさに「オカルト」的な状態になります。
またこの「4本」の足が「静止」していることから、この「足」が「床」から受けている「物的加速度」が-1gであることも分かります。 以上のことより、テーブルの「4本の足」には、それぞれ「同じ」「物的加速度」-1gが「伝搬」してきていることが分かります。「その結果」、「テーブル面上」の「コップ」の接触部分に作用する「物的加速度」も-1gである、ということになります。
そのように「様々な経路」を通じて、「一つの」物的加速度-1gが、「伝搬」してきます。そして、テーブルの上のコップへと到達します。ここで「コップ」にも「質量」があります。したがって、この「テーブル」は、コップが生じる「万有引力」を支える必要があります。この「万有引力」の大きさはm×1gです。したがって、このテーブルがコップを支えるのに必要な「鉛直抗力」がm×(-1g)であるところ、この(-1g)がテーブルによって「物的加速度」として「供給」されるため、このコップは、テーブル上に「静止」できることとなります。
このような、「鉛直抗力」と「物的加速度」との「相互関係」を通じて、「鉛直抗力」がまた「物的加速度」が、「物体中」を通じて、「伝搬」していきます。
またテーブルとコップとの関係から、次のことも分かります。
テーブル面上のコップに対する「鉛直抗力」また「物的加速度」は、テーブルの「4本の足」を伝って地中から「伝搬」してきます。しかし、そのテーブル面上のコップの「真下」は「空間」であり、その「空間」の下にようやく「床」があります。
しかしそれでも、その「鉛直抗力」また「物的加速度」は、コップへと「到達」します。
そして、そのテーブルの「足」の上には「テーブル板」しかありません。それでもコップへは「物的加速度」が到達し、「鉛直抗力」も生じます。 したがって、この「鉛直抗力」また「物的加速度」は、この「テーブル板」を「横に伝って」伝搬してきたとしか考えるほかありません。ということは、この「鉛直抗力」また「物的加速度」自体は、「横方向」にも「物体を伝って」伝搬して行くものと考えるほかありません。
さらにまた、今コップを「テーブル」の上において、「鉛直抗力」また「物的加速度」を考察してきました。
しかし、このコップを「天井」に「吊るし」ても、そのコップは「静止」するのです。ということは、この「鉛直抗力」また「物的加速度」自体は、「下」方向へも、「物体を伝って」伝搬して行くのです。
「鉛直抗力」のこの性質の要因は、物体中の各分子に働く力、基本的には各分子における「電子」の「軌道回復力」にありますが、また各分子の結合の状況(金属結合、共有結合、イオン結合、水素結合等、その他)にもよります。
そして、「鉛直抗力」また「物的加速度」は、地中から連綿として「伝搬」してきますが、状況によりその「伝搬」が「切断」されることがあります。その時その物体は、その「切断面」から「落下」することとなります。
「鉛直抗力」また「物的加速度」は、以上のように「物体中」を「伝搬」していきます。
重力とは何か?(31)〔重力と鉛直抗力の伝搬・累積について〕
以上のことを「図式化」すると、図12のようになります。
(図12)
【文書に図面をうまく貼付できないため、ご面倒ですが、参照図(重力)をご参照ください。】
この図12のように、引力加速度は+1gで、物的加速度も-1gで、これは変わりません。したがって、地面から分銅1、分銅2、分銅3へと、順次「物的加速度」が「伝搬」していく際にも、その「物的加速度」は変わりません。分銅2を例に取ると、分銅2は分銅1から受け取った「物的加速度」-1gを、そのまま分銅3へと伝えます。
他方、「重力」はこれと異なります。分銅3は、分銅3自らに生じた重力を、そのまま分銅2に伝えます。その際分銅3と分銅2との間には、分銅3での重力に応じ「鉛直抗力」が生じます。
さらに分銅2は分銅3の重力とともに、分銅2自らに生じた「重力」を分銅1へと伝えます。すなわち分銅3の重力+分銅2の重力を、分銅3に伝えます。その際、分銅2と分銅1との間には、分銅3の重量+分銅2の重力に応じた「鉛直抗力」が生じます。
同様に、分銅1は、分銅3重力と分銅2重力とともに分銅1自らに生じた「重力」を、「地面」へと伝えます。その際分銅1と地面との間には、分銅3の重力+分銅2の重力+分銅1の重力に応じた「鉛直抗力」が生じます。重力の「累積」の結果果、地中には、地中深くなればなるほど「地圧」もまた「累積」します。
このように「重力」は「累積」して「伝搬」し、それに応じて「鉛直抗力」もまた「累積」します。以上の様に、「重力」と「鉛直抗力」とは、「累積しながら」「伝搬」して行きます。
重力とは何か?(32)〔重力の現象形態について〕
以上により、「重力」の「本質」についてはかなり詳細に分かってきました。
しかし、「本質」というものは、様々な「条件」の下で発現するものです。
したがって、「重力」の「本質」は「同じ」でも、その本質が発現する「条件」に応じて、「重力」の「形態」は異なります。しかもそのそれぞれの「条件」が、互いに複雑に複合することもあります。したがって「重力」の「本質」は「同じ」でも、その発言する「現象形態」は「多種多様」となります。
このため「重力」の「現象形態」に目を奪われると、その現象形態が多種多様なため、なかなか「本質」へと到達できません。その結果、その「現象形態」自体についても理解できないという結果に陥ります。
したがって、「重力」の分析においては、まず「枝葉」の分析を取り払って、「本質」の分析へと集中する必要があったわけです。
しかし、「実務」においては、この「枝葉」の方が重要であることは多々あります。
例えば「物体」が「静止」している場合にも、地球の自転による「遠心力」が「重量加速度」に影響します。つまり現実世界の重力現象においては、これまでの「引力加速度」に「遠心力」等の影響を加味して、「重力加速度」に引き直す必要があるのです。
したがって、これまで「引力加速度」をgとして、「具体的な数値」を示してきませんでしたが、「実務」においては、このgを「重力加速度」に引き直したその重力加速度の「具体的な値」が重要となってきます。ちなみに東京の重力加速度は9.798m/s2 、大阪は9.797m/s2 、札幌は9.805m/s2 、那覇は9.791m/s2 となっています。
また「重力」の「本質」が同じでも、地球と月や火星とでは、その引力も、中心から地表までの半径も、自転による遠心力も異なっています。したがってそこに生じる「重力加速度」もまた違ってきます。さらにまた、それらの「大気」の状態も異なるので、大気による「浮力」の影響もまた異なってきます。
したがって、「重力の本質」が「万有引力」と「鉛直抗力」及び「慣性力」の「三位一体」の構造にあるとしても、現実の「重力」、すなわち「現象形態の重力」を測定するためには、測定する物体の置かれた様々な「条件」を、慎重に考慮する必要があります。
すなわち「実務」においては、「理論」によって導かれた「重力」の「本質」に、その測定する物体の置かれた「条件」を考慮して、一定の「補正」を行う必要があります。
そしてその「補正」の方法は、その測定する物体の置かれた「条件」に応じて、多種多彩なものとなります。
重力とは何か?(33)〔エピローグ〕
ここにようやくめでたく「重力とは何か?」についての分析を終えることができました。これにより若き日の「重力とは何か?」という疑問に、応えることができました。
しかし一つの「謎」の向こうには、さらなる「謎」が浮かびます。
「遠心力」とは何か?「遠心力」の「本質」は何か。「遠心力」はどういう「メカニズム」で生成し、どのような「構造」を有しているのか。そしてそれはまた「重力」とどのように「同じ」で、どのように「違う」のか。
また「天秤」は何故「釣り合う」のか?すなわち「モーメント」の「本質」とは何か。「モーメント」も、どういう「メカニズム」で生成し、どのような「構造」を有しているのか。
また回転するコマが倒れないのは何故か?それは「遠心力」によるものなのか?それとも別の力のよるものなのか。
摩擦のない「斜面」を、物体は何故「滑り落ちる」のか。「垂直抗力」と「鉛直抗力」との関係は?さらに、「浮力」とは何か?また浮力と重力との関係は?・・・、等々。
また「はかり」の構造の基本である「ロバーバル機構」の「本質」とは何か。またその意義と限界とは何か。
さらにまた「質量」とは何か。そして「質量」は何故「慣性」を持つのか。
そもそも「慣性」とは何か。「慣性」は何故、またどのように生じるのか。
「慣性」により物体は何故どこまでも「等速直線運動」できるのか。そしてそれは「光」(電磁波)の「等速直線運動」とどう「同じ」でどう「違う」のか。
「慣性」は何故「速度」を、したがって「運動量」を「保存」できるのか。
「速度」と「慣性」あるいは「質量」との関係は・・・等々。
そして「光速度不変の法則」は本当か。「時間」は本当に「遅れる」のか。「ローレンツ変換」を、したがって「特殊相対性理論」を再解釈できないか。
さらにまた「引力」とは、そもそも何か。「引力」はどのようなメカニズムで生じるのか。「引力」の構造とは何か。「引力」の本質は本当に「時空の歪み」なのか。仮にそうだとしても、それでは「何故」「時空の歪み」が「引力」に転化するのか。「引力理論」を、したがって「一般相対性理論」を、再解釈できないか。
また「真空」とは何か。そこに働く「力」とは何か。等々、様々な「謎」、「疑問」が湧いてきます。
ということで、これらの「謎」をめぐって、折に触れてホームページに掲載していきたく思います。
(付記)2017年1月30日月曜日 Gooブログに掲載。
2018年1月4日木曜日 加筆補正しJIMDOホームページに掲載